有限責任と無限責任

最近すっかりご無沙汰です、と毎回書いている気がしないでもなく。
今回はこちらのネタに触発されて。

シーン制と時空跳躍 - xenothの日記
http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20081025/p1

より正確には、コメント欄の以下の部分。

プレイヤーが、より自発的にシーンを提案してゆくためには、どういう援助をしたらいいかって話ですね。

最近はこの辺が検討課題なので、いろいろと思うところがあるのです。そういう意味では元ネタとなってるエントリを取り上げるべきかもしれませんが、まあ適当な気分で書くのが身上なので、あまり気にしないでください。


結論はタイトルになるわけですが、「プレイヤが自発的にシーンを提案するための義務と責任」をどう担保するか、というのが重要だろうと考えています。基本的にはGMがその責任を負っています、という前提で。
無限責任有限責任と書くと意味的にはおかしいんですが、わかりやすい対比として、セッションに対する責任はGMが持つ比率が高い(GM無限責任、PL=有限責任)程度の意味合いで使ってます)
言い換えれば、通常、「GMがシーンを提案することによって、セッション全体におけるシーンの整合性はGMが責任を持っている」ところを、どうやってPLに権限移譲していくか、ということだと思うのです。
それは、シーン単体で考えてもおそらくダメで、セッション全体で位置づけを探っていかなきゃいけないことだろうと思います。そして、セッション全体で位置づけを探らなければならないからこそ、シナリオ全体を見通せないPLの立場からは(整合性を含めた責任の担保において)提案力が弱くなる、ということです。


「よくわからんのに(GMにはなんか目論見があるのかもしれないのに)口を突っ込んで台無しにしちゃった」なんて展開は、ふつーにあることだと思います。その時に、本来であれば(つまんなかったとしても)GMの責任になるのは事前に自明になっていたのに、あえてPLが責任をかぶることができるか、ってことです。行為の成功率が低い立場で実行し、かつ、責任の所在が移転しちゃったら、まあ、他の人は「成功率低いのになにやってんのよお前」って気持ちになるよなってことです。
(責任の所在が移転せず、つまり「GMがやれっていったんじゃないか」というような状況、PCの行動をGMから強制され、成功率が低くても責任はGMに帰結する場合は、特に問題はないというか、結局責められるのはGMってことです。GMはある程度は成功率について見通しを持つことができる"はず"なわけですから)
なにもしなきゃよかったかどうかはシュレディンガーの猫ですけども、捕らぬ狸の皮算用は、成功することを前提にしているのです。そんなものにはなんの意味もありませんけども、そうした心情を無視したって、それこそ意味はありません。
「お前が勝手にシーンを提案したせいでgdgdになったぞどうしてくれる」という意見が、シーンを提案しなかったPLから出るのは、心情として私は容認できるから、こう考えます。通常、つまり現状のTRPGにおいて、そうした責任はすべてGMが負うような慣習があるからこそ、PLでは負えない責任があるために、PLからの自発的なシーン展開力を奪っているだろう、と推測するからです。
(それがGMの負担の増加を招く構造であるとも思いますが、それは本題ではないので今回は無視します。そういうのもどうかしたいという思いは置いておいて)


いわゆる「ベテランプレイヤ」が(FEARのリプレイだとよくあると思うんですが)シーンを提案し、GMがそれを採用して、予定していたシーンを改変して展開する、ということはありえると思いますし、実際にあると思いますし、ベテランかどうかはともかく、私もプレイヤの立場でそういうことをしたことはあります。
そこにはPLとGMの信頼関係がある、というのも重要だとは思いますが、それ以上に、「自分はこういうことをしたいから、こういうシーンをやりたい」とPLが目的を明示し、GMが自らの判断に基づいて(理由を明示するかどうかは展開依存にしろ)「今回のシナリオならそれでも大丈夫/それは難しい」ということを明快にやりとりできる土壌が必要だと思います。
サプライズ要素(目的か手段を隠匿して他の人をびっくりさせるとか)を認めるかどうかはそれこそ個人の(技量の)問題でケースバイケースですが、少なくとも「なんのためのシーンなのか」を、GMだけではなく、他のPLも判断し、場合によってはダメだしを可能にし、却下されたら潔く次の案を考えるぐらいのタフさがPLには必要になると思います。


個人的な感想ですけど、そんなポジティブ思考でタフなPLばかりではないだろうと思うし(思いついたのがあまりにも"名案"すぎて意固地になったりとかもあるだろうし)、人によってシーン提案を採用したり却下したりするいわゆる"差別"(GMが特定のPLの案ばかり採用したり却下したり)が横行しかねないリスクを、構造的に抱え込むことになってしまうと思います。それが故意であろうとなかろうと、です。
(なんで自分の意見が採用されないのか理解できない人は、たぶん毎回同じように却下されやすい提案をするだろう、という諦観も含めて)
遠い昔に書きましたが、TRPGはこれまた構造的に悪意に弱いので、構造的に悪意を生み出しやすい遊び方は、スタンダードにいはなれないのではないかなと思います。また、そういうプレイスタイルを好まない人にまでそういうプレイスタイルを強要する必要もないだろうと思います。

TRPGは悪意に弱い - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20080627/p1

結論としては、PLがシーンを提案する遊び方はできるけど、すべてのPLがそういう責任を持って遊んだりするのを楽しめるわけではないので、ケースバイケースでね、ってことになっちゃって終了。
責任とかなに言ってんの? って人は、気にせずやればいんじゃないですかね。