ネタ:物語とはなにか

実用書『物語工学論』でカットされた賀東×新城特別対談の中盤盛り上がり、どーんと一挙無料公開! - 散歩男爵 Baron de Flaneur (Art Plod版)
http://d.hatena.ne.jp/sinjowkazma/20090905/1252143285

新「昔だったら物語を経由して手に入れていた何かを、みんな直接手に入れる方法を見つけてしまって、物語は間接的な回りくどい何かになってしまったってことかな?」

新「で、ストーリーテリングというのはその中で一番面倒くさいやりかたなんですよ。ドラマティック且つ感情移入できて、しかも最後きちんと作って、時間の流れがちゃんとあって……。さっき言った一瞬のインプレッションに切っていいんだったら、時間の流れはいらないし、主人公はあなたですという疑似体験をしてしまえば、主人公を作り込む必要さえもなくなってしまう」

抜粋が飛び飛びですが抜粋なので。
↑のを読んで、↓のコメントの意味とか、気になったわけです。

はてなブックマーク - ネタ:GM1 - TRPG履歴
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/standby/20090902/p1

knsr ううん・・・私は”PC(番号)”ってシナリオに必要なスキル・ロール・その他キャラクターの属性でしかないと思う。GMが楽なのは、PLが勝手にシナリオ進めてくれてGMは質問受付してりゃいいって状況じゃないかねえ。

先のエントリ(ネタ:シナリオの意味 - TRPG履歴)を書いた後に、これらを見たので、いろいろと思うところができたわけです。
ちなみに、ブクマコメの前半の内容(PC番号云々)については、↓にもある通り、どうも環境要素が強そうだと思うので、特にコメントはありません。というかできません。いろいろな認識があるだろうなあ、という程度で、そこを無視して説明不足だった点については申し訳ありません。

TOS-Convention - ROLLING DOWN
http://d.hatena.ne.jp/GARGILL/20090906/1252249911

プレイヤーの1人が「PC1は恋愛枠、PC2は対立?復讐?をモチベーションにするのがFEARでは一般的じゃないですか〜」と言われて、あまりの文化の違いについ「PC1は王道?正道?、PC2はPC2と逆方向からの視点でみるとかが一般的じゃないですか?」とつい口を出してしまった(^^;;;


GMは楽がしたいんだろうか、という点において、私の個人的な意見としてはNOですが、主流な流れはYESなのかな、という感覚の齟齬を感じる機会が最近多くなってます。
つまり、GMが作る「場」というものにおいて、「ストーリー」は不要なんじゃないか、という意味で。GMの負担が軽くなる、ということだけを取り上げれば、私もYESの立場です。総論賛成各論反対みたいな。
以前、GMは黒子に徹するのが一番、というような主旨のことを書きましたが、そのスタンスにおいては、実はGMなんていらねえんじゃねえの、というのが、GMばっかやってる私としては、やっぱり腑に落ちないというか、納得しがたい部分がある、ということに気付きまして。
ただし、「GMがストーリーを主導する」場合、それは吟遊展開に限りなく相似していくとも思うので、そうなったらそうなったで、私としては納得できなくなってくるんですが。


個人的には、GMとPLが協力してストーリーを作る、というのも、納得がいかない部分があります。というのは、PLはストーリーを作ることについて必ずしも積極的ではないし、積極的であろうとしても困難である、と考えるからです。これは、以前のエントリでも推測しましたが、GMとPLの情報が非対称であるという前提から導き出された推測です。
そうした前提で考えた場合、ではストーリーとはなんなのか、という点において、不明瞭である、というのが今回のエントリの出発点です。(長い前振り)


でまあ、長い前振りが終わっての結論の要約なわけですが、「ストーリーは、体験を追体験するための、非言語領域を表現するために必要」というのが、現時点でのポジションです。
具体的な例を出すと、「○○高校の文化祭でライブをやりました」という説明で、一体何が伝わるのか、ということです。この一文だけで想起されるものは、「PLの体験した文化祭のライブ」であって、そもそもそんな経験(高校の文化祭におけるライブへの参加あるいは視聴経験)がない人にはわけがわからないというか、意味がない言葉でしかない。「何も伝えていない」ということになる。
「○○高校というのはこういう場所で、○○高校の文化祭というのはこういうもので、その中でこういうライブをやりました」という表現をしないと、作中における「○○高校の文化祭でライブをやりました」にディティールがないし、意味づけもできない。
そして、意味づけをした上で、ストーリー(=時間の流れ)を追加して、ようやく「体験の追体験」ができるんじゃないか、体験を再現できるんじゃないか、と。重要なのは、体験自体は再現できても、そこからなにを感じ取るかは、それぞれ異なる、という部分ですが。
体験は前提の積み重ねであって、それ以上でもそれ以下でもなく、前提が必ずしも同一にならない以上、体験を再現できてもその結果、感得できるものは異なってしまう。これはまた、別のエントリで書いた、それぞれが想像する物語の孤立性についての話が下敷きになっています。
だからこそ、物語は参加者に応じて再現性のない展開を見せるということに、一定の説得力を持たせることができるんじゃないか、なんてことも思ったり。個々人の代替不可能性の表出という文脈において。


PLの過去を喚起する(あるいはPLの妄想を喚起する)だけでいいのであれば、おそらくストーリーは不要である、という結論になる。「状況設定をする権利」をGMが手放していいのであれば、という前提が容れられるのであれば。
そしてそれは、GMが意味を定義し、意味を伝え、PLに意味を理解してもらうという手間を全部取っ払った先にあるものであり、その時確かにGMは楽だろうけど、この場合のGMCRPGにおけるハードウェア以下の何かにしかならない。CRPGならまだしも情景描写が背景として存在するけれど、背景としての情景描写すらも投げ出したGMは、CRPGにおけるテレビにすらなれない。
それはもうTRPGとしての意味の消失(アイデンティティの消失)ではないか、と私なんかは感じてしまうわけです。そういうスタイルのTRPGが主流である、ということであれば、私は老害なんだろうし、老害のほうがいい、と思いますが。


これを書くとフレームの元かなあ、とも思うんですが、「萌えとはなにか」というものの意味に近いなにかがTRPGにはあるんじゃないか、と思ってます。
キャラクターの消費、この場合は妄想の消費でしかありませんが、それがしたいだけであれば、GMは不要である、ということに繋がっていくと思います。極論ですが。
そしてさらに極論ですが、その上でなぜTRPGという体裁を整えようとするか、となると、妄想に対する承認欲求があるのではないか、と考えてしまいます。もちろん反論はあると思うんですが、私は反論の姿すら想像できません。

もうそう【妄想】の意味 国語辞典 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/1931510-0000/m0o/

(2)根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。分裂病・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容があり得ないものであっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。

妄想を刺激するためのトリガーとしてしか機能しない、あるいはその機能のみを欲求されている、となった場合、それがゲームとしての枠組みを超越している以上、ゲームであるTRPGが対応できる余地はないんじゃないかと思います。