自分にとって大事なことと相手にとって大事なこと

副題は「自分にできることと相手にできること」です。


ご指名(?)いただきましたので恒例の応答をさせていただきたいと思います。
ご指名にはできるだけ応答したいとは考えているんですが、時折応答を差し込める余地のないこともあったりして、そういう時はあえて応答しないようにしていますので、閲覧されている方におかれましてはそのあたりを意識して読んでいただければと思うことがあります。
「応答希望」とかあれば(それに気づけば)出来る範囲で応答させていただきます。それ以外の場合はいい加減判断による恣意的運用になりますということで。

TRPGと逸脱と再設計 - TRPGのススメ?
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20091107/p1

1コマ目の「ゲーム終了ね」まではギリギリGMの公式設計の想定の範囲内でのセッションだったのですが、「いやゲームは続行するわ」からの一連の台詞が"逸脱"。4コマ目の「そんなシナリオ即興で作れと!?」のシナリオを即興で作る部分が"再設計"にあたるかと思います。

すみません、この部分でいう逸脱と再設計が、システムの話なのかシナリオの話なのか判然としなかったというか、文脈的にはシナリオの話だと思ったんですが、内容的にはシステムの話にも読みとれたので、この辺ちょっと区別して応答させていただきます。


上記の例にならってみると、「"シナリオとして"GMが用意していた範囲外の展開をPLが要求した」というのが逸脱であり、「それにGMが応えようとした場合に再設計が発生する」という意味で、ここではおそらくこの文脈で書かれている、と読みとりました。
ここで再設計が可能かどうかはGMの能力に依存します。参加者全体のリソースとして認識した場合、PLがGMを引き継ぐ(PLがやりたいことをPLが実現する)というような解決手段もあるので、必ずしもGMだけが再設計の責任を負うわけではありませんが、それはリソースの配分を変更するだけで、リソースが必要であることを回避するわけではないので、リソース問題として見た場合、「ない袖は振れない」という前提を持つことになります。
また、それが逸脱であるかどうかは、シナリオを用意したGMにしかこの場では判断できません。PLの要求に応答する形でGMがシナリオを開示することによって、PLは初めて自分の行為が逸脱であると認識できます。この情報が不均衡な状態において、PLの行動は「逸脱を意識しているとは言えない」という前提を持ちます。
先の前提、「ない袖は振れない」と「逸脱を意識しているとは言えない」という前提を複合すると、PLは「袖があるかどうかはわからない」状況下で「袖を振れ」と要求することしかできない。少なくとも要求段階においては。これはTRPGの構造的な問題であって、PLの、ましてやGMの問題ではありません。つまり、運用者の問題ではない。(逸脱を認識して要求を取り下げる、あるいはリソースをぶち込んで再設計しちゃうという形で)運用者が解決できたとしても。
そうなると、逸脱の発生やその解決としての再設計というのは、システムの問題にシフトするのではないか、と考えたわけです。そこでシナリオとシステムの判別がつかなくなったと。
まあ、ここでいうシステムはどちらかといえば「TRPGの構造」としての部分になるので、固有のタイトルのシステムとは無関係なので、逸脱の発生そのものを抑制するかどうか、という点については、ここでは考慮しないとします。現状のTRPGの構造は、逸脱の発生を回避するようにはなっていないし、そういう運用にもなっていないと思うので、そうなるとちょっと大変なテーマになっちゃうので。なのでちょっと横に逸れます。


システムの問題(ここでいうシステムはなんらかの固有のシステムを意識しているわけではありません)として見た場合、「逸脱の定義」と「再設計コスト(低ければ低いほどいい)」を考慮する必要があります。
シナリオの運用レベルでの逸脱は、システムが考慮する必要はない、というのは、別のエントリでも書いた通りです。ただし、どこまでが運用の問題でどこからがシステムの問題なのかは線引きが難しいというのも、そのエントリで書いた通りです。

「いますぐこの痛みをなんとかしてくれ」という訴えにはシステムは対応できない - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20091103/p1

先の例で見た場合、「国盗り」がシステム的に実装されていない場合、これを実装する、という形で逸脱を承認し、再設計をする必要が出てくる。外部の国盗りシステムを持ってきてもいいし、一からシステムを構築してもかまいませんが、とにかく現状では存在しないものを導入する必要はある。「国盗り」が実装されている場合はシナリオ=運用の問題なので、システムは関わらないので、このパターンは除外します。
ここでも当然、再設計のためのリソース問題が発生しますが、通常、ほとんどの運用場面において、このコストは負担できないものでしょう。
そう考えると、再設計コストというものは、どこが担保すべきなのか、という話になってくる。システム自体が拡張性を持って再設計コストを引き下げることができたとしても、実際に実装するコストは誰かが負担しなければいけない。例えば公式にルールを追加するという形であれ、ローカルにルールを追加するという形であれ、誰かがルールを考え、整備して(バグがあったとしても)実装しなきゃいけない。
先にも述べましたが、「シナリオ上の逸脱」における「再設計コスト」は運用レベルで負担できるけれど、「システム上の逸脱」における「再設計コスト」は運用レベルで負担するには(必要なリソースの性質的な違いも相まって)現実的ではない、ということになる。という認識が私にはあります。


というようなことをつらつら考えていたので、「うーんこの話はどこまでを射程内におさめているんだろう」という確認も兼ねての応答が必要かなあと思ったのでした。
なのでこの点についての応答は、確認兼保留状態とさせていただきたいと思います。
もちろん絶対に回答をいただかなきゃいけないとかいうわけでもないので、お時間のある時に気が向いたら回答をいただければなと。

この逸脱/再設計はTRPGの上達の段階として未経験者→初心者→中級者→上級者って仮に段階をわけるとすると、初心者→中級者くらいの課題かなーと思うのです。ちょっと未経験者用のチュートリアルに入れるのは酷でしょう。TRPG的には重要な要素なんですけどね。

運用における再設計は、ご指摘の通り中級者あたりの課題になるかなと思います。チュートリアルでは、可能性を示せれば十分ってところかなと。もちろん、再設計を推奨するシステムなら、ですが。
システムにおける再設計は上級者の課題かなと思いますが、これはシステムとしての整合性を考慮した場合の話であって、そんなもん無視するなら(システムをちゃんぽんしちゃってもかまわないという話なら)中級者未満でもできちゃうんじゃないかなと思います。
小学生の頃、違うゲームのルールを勝手に繋ぎ合せて遊んでたなあ、なんてことを思い出すと、システムの整合性なんて考えない遊び方のほうが満足度高いんじゃないかなあ、なんて思わないでもないですが。まあいまさらそうなるには若干以上のハードルを感じますけども。


話は横に逸れちゃいますが、「逸脱/再設計が初級者ではなく中級者の課題」であるなら、「TRPGは自由な遊びです!」なんて言う初心者への勧誘文句は害にしかならないんじゃないかなあ、なんていういつもの「自由なTRPG弊害論」をぶちあげたくなっちゃいました。
まあ最近のTRPGでも相変わらずそんなこと言ってるのかまではそういえば調べてないな、なんてことも思ったりしましたが。そもそも昔のでもそんなこと謳ってたかなあ、と考えると、どっかのアンオフィシャルな宣伝文句をオフィシャルと思いこんでるだけかもしれないと思ったので、今後はこの点については確認するまでは自粛したいと思います。


閑話休題


環境管理、という焦点に絞って考えると、私は環境の選択ができることが大事だと考えます。豊かな環境というのは、選択肢が豊富な環境のことであって、それは当然ながら環境自体の選択も含んでいて、例えば同じ商品が山のように積み上がっているような環境のことではないと。もやしもん8巻あたりで樹教授が語っていたことですが。
SNEやFEARのどっちがいい、というのは個人の好みのことですが、環境としては、両方あって、どちらかをあるいは両方を選択できる環境が理想であると。もちろん他のメーカーもあるので、そういうのを選択するのでもいいわけですが、とにかく寡占企業になられるのはちょっと困る。そうなったら同人レベルも視野に入れて環境選択をしていく必要が出てくるけど、そこまで言っちゃうとコストがかかりすぎて手仕舞いになるだろう、ってのが私の実感です。


環境管理それ自体を問題視する議論もわかるんですが、しかし環境管理のメリットを重視した場合、環境の対比ができること、そして選択ができること、または選択しないでいられること、場合によっては自分がそれを作れること、これらが大事なのであって、環境管理という手法それ自体を悪化してしまうのは、なんか筋が違うんじゃないかなと感じます。
最終的には好みの話で、いろんな好みを自由に主張して発揮できることが重要なのであって、そのレベルから管理しようって話なら私も反対ですが、特定の目的に特化した環境管理の存在それ自体については、メリット・デメリットを上げて比較することはともかく、外部がどうこうできるもんではないなじゃないでしょうか。
「SNE vs FEAR」みたいな構図が発生した時に(これ自体不毛ですが)、反対するがために反対することによって対立する主張を否定するというのは豊かな環境ではない、と思います。変な話、自分の環境はこーゆーところがいいんだぜー、とそれぞれ主張するしかないんじゃないか。それぞれの環境の魅力を判断するのは、主張している人ではなく、選択する人なんだから。


なので

環境管理移行やむなしって結論をとらないと、blog全体の論として整合性がなくなっちゃうんです。ただやはり生理的にやなもんはやなんで、私が導入するとしたらシナリオまでかなーと。でもまぁ発想としては理解できるんで、反対ではないって態度でid:ggincさんにはお答えはしました。

「シナリオレベルでの環境管理を導入する環境」という選択ができるというのが重要なんじゃないか、なのでそれでいいんじゃないか、というのが私の感想なのです。

長文&反応おくれて失礼いたしました。
こみいった話で時間があるときにしか書けなかったのでご勘弁ください。

長文は私もいつものことなので、かまいませんというか誤解を避けようとするとそうなっちゃいますよねーってことだと思ってますので、むしろどんどん長文でお願いしますって気分です。短すぎるとどうも。適切な長さに切らなきゃなあとはいつも思ってますが難しいです。
先にも書きましたが、応答していただければ満足なので、早い遅いはお気になさらずに。ただまあ、あまりタイミングを外すと、エントリ書いた時点の私の考えとは違う考え方になっちゃってる可能性もありますので、その際はむしろこちらがご勘弁くださいと言うことになっちゃうかもですが。