「ストーリー=共有地」の悲劇

ストーリーというのはオープンアクセス状態にある共有地=コモンズであり、利己的な利用者が共有地の資源を限界以上に取得しようとした時に悲劇=失敗が起こるんじゃないだろうか、なんていう夢想。
コモンズの悲劇については概要として下記を参照しています。

コモンズの悲劇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%9C%89%E5%9C%B0%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87

で、ストーリーに対してのアクセス制限=非オープンアクセス化というのは、はてどのような仕組みがあるだろうか、と考えたわけですが、これがいまいち、思いつかない。暗黙の了解ではない、明示的な「ストーリー生成ルール」というのはなにかあるだろうか、という意味で。
エンゼルギアは、演出に関してはパトスチットによって管理していると思いますが、パトスチット=ロゴスの多少によって、ストーリーに干渉できるかどうかが決まるかといえば、そんなことはない。弱い形でのアクセス制限にはなってるだろうけれど、ストーリーを管理するという性向ではないので副次的な効果ではないか、と思います。そして概ねのシステムにおけるキャラクターリソースは、行為の成否を形成したとしても、行為の可否を形成することはない(やる気になりゃなんでもできる。失敗するだけで)というのが、当たり前になってるのではないか。
しかしどんなシステムであれ、ゴールデンルールのような形で、ストーリーに関する決定権はGMにあり、オープンアクセスではない、とすることもできます。
もしかしたら、だからこそ悲劇が起こるのではないか。「オープンアクセスではないものをオープンアクセスであると誤認する」ことによる悲劇、ということですが。


「本来は無制限に使用できるわけではない資源を無制限に利用する」という構図だけを取り上げれば、コモンズの悲劇と構造的には類似していると言えると思いますが、実質においては、「コモンズの制限を超えた私的な略取」なので、これはルール違反による悲劇=問題だ、と定義することはできます。
かといって、このルールが明確化されているか、とした場合、実はそうでもない。明確なルールがないままにユーザフレンドりを意識すればするほど、ユーザからの働きかけ=ストーリーの私的利用を促すことになり、こうしてストーリーに関するルールは曖昧になっていきます。
つまり……「ストーリー」というコモンズを枯渇させない=他のユーザが「ストーリー」を利用することをできなくしないためには、「(GMも含めた)ユーザのアクセス権限」を的確に設定しなければならない。できるかできないかではなく、しなければならない。


実社会においては慣習法のような形でアクセス制限を行っている場合もあり、ローカル・コモンズとして成立していることもあります。

ローカル・コモンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA

TRPGにおけるローカル・コモンズというのは存在しているのか。例えばサークル単位で存在していたとしても、TRPGユーザ全体で共有されていないルールは、ここではローカル・コモンズとは言えない。もっと広く、それこそ「ルールブックに明記される」ような形でのローカル・コモンズは存在するのかどうか。
これはルールブックを斜め読みするばかりの最近の私にはあんまり口出しできないというか不勉強ですいませんとしか言えないところですが、「ストーリーというコモンズを明確に管理するルール(あるいは指針)」が存在するルールブックがあればちょっと読んでみたいところ。


まあ概ねは責任主体の話になるんだろうし、そもそもストーリーなんてどうでもいい人(という形のコモンズの(この話の前提の場合は)侵害者)もいるだろうし、細かい話をしだすときりがないですけども。
「ストーリー」というのは、管理されるべきか否か。根本的にはそういう話なんでしょう。そして私は、「ルールという形で管理されるべき(個人の主体に基づくのではなく)」と考えています。実現できるかどうかはともかく。
なんとなく、「トーキョーNOVA」の神業とかのリソースは、ストーリーへのアクセス制限機能があるんじゃないかなあ、とは思うんですが、やったことないし最新のルールブックもないので印象だけです。


なお、このエントリはid:acceleratorさんの下記エントリに触発されていますが、内容的にはまったく関係ない方向に進んでいます。

物語コンテンツへのアクセス構造とストーリーライン - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20100208/p1

その上で関係ありそうなことを書くと、「ストーリーの提示者」と「GM」を分離できれば、GMなしのTRPGができるんじゃないかな、と考えています。誰が「敵役」や「NPC」をやっても(ダイスを振っても)不正は起こらないという前提も必要になりそうですが。
そして、ストーリーの種は、ランダムチャートでいいんじゃないか、とも。これについては、下記のエントリを読んでの雑感です。

構造というもの - crea555
http://d.hatena.ne.jp/crea555/20100209/1265693981

人間には「雑多で直接は関係ないかもしれない物語コンテンツの断片」たちを勝手にストーリーラインとして読み取る(物語化する)能力があります。「原因と結果」は「特殊な個別の事象・事実」であり、「ストーリーライン」は「一般的な普遍の真理・真実」です。
物語化する能力がある、というよりはむしろ制御できない生態に近いものとしてあります。たとえば「2D6を3回振ったら3回とも12が出た」という事象から勝手に「幸運(あるいは不運?)」という物語を読み取ります。それは珍しい確率の事象だ、というだけのことに過ぎないのに。

ユーザがストーリーを勝手に構築することができるのなら、別に用意しててもしてなくてもかまわないんじゃないのか。ランダムだと状況任せすぎるかもしれないけれど、それは逆に、ランダムでなければ(=シナリオを用意していれば)ストーリーを構築する上で優位性があるのか、という問いに繋がり、私は、(GMが)シナリオを用意したからといって、ストーリー構築が可能だとは思わないし、そもそもそれが面白いものだと保証されるものでもない、と考えます。
ランダムでも、事前にシナリオを用意しても、楽しい楽しくないというのはそれとは別のポイントに評価点があるんじゃないかという意味で、「GMとストーリー提示者の分離」というのは、意味というか意義のあることなんじゃないかと思います。
余談ですが……日常生活レベルで見た場合、こうした「ストーリー構築能力」というのは迷信に紐付けられて論じられることも多いものですし(「死亡フラグ」は迷信ですが、ストーリー上においては「黄金律」に近いなにかだ、という意味で)、ゲームという局面のみに極限化するマナーは必要になりそうですが。
まあ、遊び方がそれだけになったらどーかなとは思いますが、それはどんな遊び方でも同じことなので。