(たぶん)[TRPG]煮え煮え
こちら(God & Golem, Inc.)を見てちょっと思ったこと。
私は「煮え系」はセリフではなく状況、あるいは環境的な後押しがあって初めて成立するものだと思ってるので、別段
「ありがちでダサい台詞」を「かっこいい台詞」と臆面もなく言う人
が煮え系だとは認識しませんが、なるほどそういう観点もあるかもなあ、という意味で参考になりました。
煮え系の楽しみというのは主観要素のみで構成されるので、客観的にはそういう風にも見えるだろうし、とかも普通に思いますが、そこで以前からの疑問である、「じゃあ邪気眼的な設定が採用されている小説*1とTRPGゲーマーの披露する邪気眼的な設定の差異はどこにあるんだろう?」が湧いてきました。
そこでこそ背景設定を含んだ環境要素が強く影響する、つまり作品世界としての広がり、あるいは作品世界自体が邪気眼を許容する設計になっているかどうかが大事なんじゃないか、と思うんですね。ここで言う邪気眼の"痛さ"というのは、そういうのがありえないという"現実社会の前提"に基づいて判断する*2から"痛い"のであって、"邪気眼自体を許容するTRPGの前提"では、それを痛いもの=邪気眼と表現するのは、どこか違うんじゃないか、と思うわけです。
まあ自分自身がそういう"痛い設定"が好きなので、容認方向にバイアスがかかった意見ではあるんですけども、そうした前提において、"世界に痛い設計が許容されているか否か"が痛い設定とそうではない設定の邪気眼を区別できるのだとしたら、それ*3は邪気眼ではなく、やはり煮え系というのが正確なんじゃないかと思います。