視点の差

こういうことがあるとしゃしゃり出る、それが私の好きなこと。
この記事はあくまでもid:gensouyugiさんに向けてのエントリですという前提をお間違えなく。

TRPGと現代ファンタジーを愛する男のブログ:愛と気合でTRPG作成 - livedoor Blog(ブログ)
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普段、id:ggincさんところを斜め読みしながら、大体同じことを思ってました。
「この記事の対象は誰で、どういうことを訴求したいんだろう?」と。
でまあ、そう思うってことは自分は対象外だなーってのはわかってたので、あんまりじっくり読んでなかったんですけども。
「実際にデザインする時に」システム論を語るのはそりゃあシステムの根幹に関わる話ですからどんどんやってくれればいいと思うんですけども、それは具体例として「こういうシステムは、こういう理由で採用しています」という説明としてならわかるんですけども、漠然と、汎用概念として「こういうシステムは、こうある必要があります」あるいは「こうするためには、こういうシステムである必要があります」というべき論的な思想を語られても、「ふーん」と思ったり、それすら思わなかったりします。
別にゲームはべき論でやるもんじゃないと思いますからね。そういう理屈があるのはわかりますけども、それがべき論だからといって必ずしも採用しなきゃいけないわけじゃないし、採用されないべき論は、ほとほと胡散臭く見えるというだけだと思います。
男女の性差の問題だって、べき論で語られたら途端に胡散臭くなるのと同じだと思います。父性だの母性だののあるべき姿、と同じで、ゲームのあるべき姿、なんてのは、それが共有できる価値観の持ち主同士でなきゃ、会話としてすら成立しないわけで。
士郎正宗アップルシードという漫画の中で「理想人による理想郷」という単語が出てきますけども、私はそれは「理想を共有できる人同士でなければ理想郷は実現しない」という意味で捉えてます。それと同じで、「ゲームというものの姿」も、それを共有できる人同士でなきゃ、会話にすらならないんだろうな、と。
だからこそ、自分はid:ggincさんとこの記事の対象の範囲外にいるんだろうな、と思ってます。ゲームという単語一つを見ても、感覚として共有できる価値観を持ってないからです。


私のゲームの作り方はたぶんid:gensouyugiさんと同じ方向なので、そのあたりに共感して、これ書いてます。