自分もちょっとばかり関係があるので

GOD AND GOLEM, Inc. -annex A- - 議論のネタとしては適切だったらしい
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070913/1189634840

今回は別に議論とかするつもりはなく、単純に「感想文」です。なのでトラックバックもしません。論に関わったので、自分なりの「まとめ」を出しておこう、というだけです。


相変わらず斜め読みなんですけども。なんでたぶん誤解しているところもあると思うんですけども。
「よいゲームがきちんとよいゲームとして評価してもらえる/することのできる土壌を育てるための論」ということでいいのかしら。(追記:そうだとしたらとてもはてな的)
でもそれは一般ユーザ層に向けてやる活動じゃないんじゃないかなあ、というのが私の感想です。
「よいものをよいと語る」のは、「今日の早川さん」じゃないですけど、「マニア層だけ」だと思うからです。
TRPGユーザが全員マニアになれるかどうか? あるいはなる必然性があるのか? 私はどちらにもNOの立場なので、その(啓蒙)活動の目的地が見えません。なのでそのレイヤの話には、やっぱり興味ないなあ、と思います。
一般ユーザは、システムの深遠なんて理解する必要すらなくて、楽しい/楽しくないの二元論だけ語るのが一番正しい姿だと思います。正しいっていうのもまた穿った表現なんですけども。普通と言い換えてもいいです。
いわゆるファイナルファンタジーのようなメガヒット作品が「売れる」のは、別にマニア層に訴求したからではなく、一般層に訴求し、それが成功したからだと思います。
翻ってTRPGを押し出すべき相手は、「普及させたい」という前提で見るなら、「質にこだわるマニア層に受け入れられた上で」一般層にも受け入れられるようにする必要がある、ということだと思います。なので当然、そんな一般層に受け入れられる「ゲーム」を作る、ということが必要だと思ってます。
私はTRPGの「質」とかにはこだわりはありません。もちろん質の追求自体は否定するわけじゃないですけども、ゲームなんだから「遊ばれてなんぼ」だし、「楽しんでもらってなんぼ」だと思うからです。楽しみのためには質の低下を辞さなければならないこともあるだろうし、それは個々のゲームにおいて取捨選択すればいいことだと思います。
あえて私自身が興味のない「売れる/売れない」の話をするのは、「ゲームは遊ばれてなんぼ=広く遊ばれるには売れるしかない」ということを考えてのことでしかありません。


先日の認知限界の話じゃないですけども、人間というのはおそらく限定合理性(http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/keyword/%e8%aa%8d%e7%9f%a5%e9%99%90%e7%95%8c?kid=152#p2)しか持ち得ないので、「それぞれの認知限界の中で」活動する、というのが当たり前と言うか、一般的というか、普通なことだと思います。
私はそういう泥臭い(と思われるかもしれない)レイヤから考えるので、理屈よりは実践とか実感のほうを重視しますし、実感を理屈化したりもしますが、その理屈を十全に信じているわけでもありません。実感に基づく理屈は、状況に応じて千差万別でしょうから、一般化できるほど洗練されたものにはなりえないと思います。
ただ、私の考え方、というのが、具体例と共に(こことかで)提示されていれば、TRPGを遊ぶ人が、「こういう遊び方もあるんだなあ」なんて思えるんじゃないかな、と思ってこのはてなダイアリを続けてます。


なので、ここでは、「素晴らしい論考」とか「洗練された理論」なんてものを書くつもりはないです。
ユーザレベル(をGMとPLにわけるのに違和感があるというのは以前から言及してますが)での視点、という前提で、あれこれ書いてますし、書いていきます。たまにその視点を再確認するために、メタ視点を持ち出すこともしますけどね。


追記
id:ggincさんのブクマコメントで「ちなみに「議論」と読んだのは、鏡さんのまとめがそのように見えたからで、特に私が「誰々と議論したい」と考えていたわけではありません。誤解させたようで申し訳ない」とありましたが、このエントリの「今回は別に議論とかするつもりはなく」というのは、単純にggincさんの記事で「議論」という単語があったんで、「そういう方向に進むとちょっと本題から逸れそうだなあ」と思って書いただけで、特段、これまでのあれこれが議論だったとかいう認識はありません。こちらこそ誤解させてしまったようで。