ゲームの生産性

WIRED VISION / 「ゲーマーの後悔」は終わらない
http://wiredvision.jp/news/200710/2007100221.html

雑感としては、娯楽に生産性があってもなくても関係ない、と思います。娯楽の目的は、ストレス解消であって、それ自体に生産性の向上の効果がある以上、それ以上の効果を望むのは、個人の好みに過ぎないだろうと思うからです。
もっと言っちゃえば、読書したってテレビゲームで遊んだって、人生に影響なんてありません。娯楽の影響を受けるために生きているわけではなく、生きている上の嗜好として娯楽の指向が定まるだけだからです。テレビゲーム好きに純文学読みなさいと言って、それになんの意味があるのか? ということです。読書のほうが後でなんかの役に立つかもしれないというのは、テレビゲームがなんの役にも立たないというのは証明できるのか? という反論で封殺されてしまいます。そもそもそんなの、どうやってデータを取れば正当だと証明できるんでしょう。ゲームだけやって生きているわけでも、読書だけして生きているわけでもないでしょうに。


ここで陥りがちな錯誤として、TRPGの社会性のピックアップがありますけれど、元からコミュニケーションの好きな人(上手な人ではないところがミソ。そしてヲタクは大体コミュニケーションが大好き)がTRPGを嗜好するだけであって、誰かと一緒にわいわいやろうと思わない人がTRPGを嗜好するはずがありません。そういう人は、別にTRPGをやらなくたって他の(コミュニケーション欲求が満たされるような)活動をするだろうし、そこで得られる効果は、TRPGと比較しても大差ないでしょう。
TRPGが学習効果において優れているというのは明確に誤りで、ゲーマーという共通理解があるから相互理解が効果的に進むだけのことであって、いわば同じ穴の狢が集まるのであれば、それがTRPGだろうが料理だろうが読書だろうが、差なんてありません。


なんてのはただの牽強付会の開き直りです。私の九割は開き直りで出来ています。