究極的なシステムの阻害

TRPGという遊びにはシステムは必須ではない、という前提を持っているかどうかで、システムに対するこだわりが違うのかなー、なんてことを思いつつ。
汎化のための共通基盤を、ただそのまま享受するという遊びを否定はしませんけども、それが面白いかどうかという点においての疑問と、たとえばトランプのようないろいろな遊び方をTRPGのシステムを用いて実現したって、それはいんじゃないかな、ということです。
広範なユーザを獲得するためには、むしろローカライズ可能な自由度こそが重視されるのではないか、ということでもありますが。
まあ、目的論に話がすり替わるので、この話はこのぐらいで。