たとえばの話

「この包丁は、これこれこういう理由でよく切れるんです」という理詰めの説明を聞かされても、「はぁそうですか」以上の感想は出てきません。
「(野菜とか切ってみて)ほら、この包丁、よく切れるでしょう? その秘密はこういうことなんです」と、実演の後に説明を聞かされると、「ほお、そりゃ大したもんだ」と思います。


説得力、というかなんというか。実感できる説明、というのは、そういうものだろうと思うし、誰かになにかを伝えたいのであれば、そういう説明を意識する必要が必ずあるものだ、と思うのです。
なので、具体的事例のある紅茶檸檬さんとこの記事は、(けっこう知らないネタ扱ってることも多いんですが)私はわかりやすいなーと思って見てたりします。それでまあ、最近あれこれ言及というか横レスみたいなことさせてもらってますけども。


真実よりも安心のほうが強い、とかいう言葉もありますけども、実感のほうが理屈よりも強い、と私は常々思っていて、特にオンラインでの文字コミュニケーションの場合、余分とも思えることこそが意志伝達に重要な役割を果たすことも多いと思っているので、そういうところを大事にしていきたいなあ、なんて思ってたりしたり。


追記
なにが、という部分を置いておくにしても、「理解できない話は面白くない」というだけのことだな、と思い至った。
あえて書くほどのことじゃないですな。