証明することはできません

世界の成り立ちとか、命の不思議とか、そういうもろもろの"科学的な"もののことですけども。
ある日、ある瞬間、自分の立っている大地そのものが、いかに頼りないものであるかを"実感する"瞬間があるかどうか、だと思うのです。
終末思想と結びつきやすそうだなあ、なんてことも思いましたが、空想と現実の境界を設定する能力こそが"空気を読む能力"に繋がっていくのではないか、とか。
私は空想好きな現実主義者を自任しておりますけども、空想は常に最良の状態と最悪の状態を想定するために駆動します。そして現在、自分はどの位置にいるのかを把握するために機能します。
実際に私に空気が読めてるかどうかはさておいて、そういう不安定さを頭から理解しているからこそ、さまざまな空想を感じ取ることができる、ということが言いたいわけです。
安定には変化はなく、不安定には自由があると。まあそういうことです。