RPにかかわるPLとPCの関係

大層なお題ですが大層な話ではなく。


ロールプレイに拘泥する時の基準を、PLに置くかPCに置くかという話で、過去にも何回か書いたことがあるような気がするんですけども、なんとなく書きたくなったので再掲の気分で再考したことをつらつらと。
もうぶっちゃけて具体的な人物を指定しますけども、うちのサークルの主催は、ロールプレイをする時に、PCのみを視野に置いてます。表現するなら、「PLがロールプレイをする」スタンスです。で、私は、PLの視野から「PCにロールプレイをさせてる」スタンスです。
これにどのような違いがあるかといえば、PCを主眼に置いた場合、選択の自由度、あるいは裁量権がPLに存在しないと錯覚することが多くなります。「このPCはこう考えるだろうから、こういうことをしなきゃいけないんだ」という、まあ、よくあるロールプレイです。
一方の私のやり方、PLを主眼に置いた場合、「このPCはこういうキャラだけど、いまの状況はこういう状況だから、このキャラにはこういう動機づけをして、展開をこっちのほうに引っ張ってもらいたい」というロールプレイをさせます。「させてる」んです。


それが一般的なPC主眼のロールプレイであるとか、PL主眼のロールプレイであるとかは言う気がないし、どうでもいいと思ってますけども、そういうロールプレイのスタイルの違う人同士でも一緒に遊べるし、楽しくも遊べるということが私は言いたいわけです。
究極的には、重要なのは、「なにをするか」ではなく、「なにをしたいか」であって、「楽しく遊ぶ」という共通目的をお互いに理解してさえいれば、「どうやって楽しく遊ぶか」は適当でもっていうか一致してなくてもけっこう遊べるもんだ、と言えるだろう、ということです。
「他人の楽しみを阻害しない範囲」で「自分の楽しみを満喫する」というのが、まあ「大人な態度」での遊び方、ってやつだと思いますが、私はそういうい前提で遊ぶことが多いので、ある程度お互いのことが理解できてる関係じゃないと、あんまり遊んでる気になれなくて、セッションするのもなんか微妙な気分になることが多いです。


セッションではなく、普段のチャットとかである程度、やりたいこととか、それこそPLのキャラとか、そういうのがわかる人なら、いきなりセッションしたって違和感ないんですけど、なんかセッションになるといきなりキャラ変わるPLとかいて、それこそロールプレイなのかもしれないんですけども、ロールプレイをしているPLが理解できないので、なんかすごーく理解も納得もできないままセッションが進んだりすることがあります。
「なんでそういうことをするんだろう?」という違和感とか疑問というのは、多人数で遊ぶTRPGですから当然発生すると思うんですけども、そこに不信感とかを持つことなく、「まあ結果オーライになるならいーか」と割り切って信頼して遊べる関係が大前提として必要になるんじゃないか、というのが最近の実感です。
ま、信頼が双方向性のものである、ってのもありますけども。たまーに他人のこと信じてないのになんで自分のことを信じてくれないんだ的な状況が発生したりするので(自分のことですよ)、反省も含めて。