セオリーの要求と自信の度合い

2008-03-24 - GM日記
http://d.hatena.ne.jp/inouekari/20080324#p7

ゲームシステムごとの傾向を把握して遊んでくれたほうがいい、というような流れの会話なのかなあ、と2chログ部分を読んでたわけですが。そしてこのエントリはその2chログ部分への感想なので誤解なきよう。


ま、そりゃそのゲームシステムを選ぶ理由ってのは、システムごとの特色で(たぶん)決められるんだろうから、それはいいんですけども。
過度に、あるいは過敏にシステムの特色を保守することを要求する、もっと飛躍すれば"想定の範囲内での行動を期待する"ってのの裏側にはなにがあるのかといえば、「自分の技術への自信のなさ」になるんじゃないだろーかと。
もちろんTRPGは、どんだけの技術があろうとも些細な切っ掛けであっさりとセッションが破綻したりすることもあるので、それを自信だけで乗り越えられるとは思いませんけども、しかし自信のないところにやる気はないし、やる気のないところに成功はないんじゃないかなーという持論もあるので、その辺がどーにも微妙に思えます。


いろいろと心理学関係の本とか読んで思ったのは、「自分をだませない人は他人もだませない」ってことで、それはつまり、自分がまず、自分が説明しようとしていることを真実だと思い込まなければ、相手はそれが嘘なり欺瞞であるということを見抜いてしまう、ということです。
それの原因がどこにあるのかといえば、たぶん違和感なんでしょう。説明している内容と表情が不一致であれば、人間てのは案外簡単に嘘を見抜けたりします。あるいは疑念を抱きます。内容と表情を一致させるには、表情なんてのは不随意筋の集積ですから、説明者が説明内容を頭から信じてなければならないんじゃないか、と。


まあもちろん私は学者ではないし学者を志向しているわけでもないので、こんなもんはただの思いつきでいい加減な仮説未満の話ですが、なんとなーくヲタクというのは傷つきたがりが多いよなあと自分を含めて思うことがあるので、その辺を改善したほうがやっぱり健全なんじゃないかなあ、と思ったりしたのでした。