王道構成

気分を入れ替えてTRPGネタです。本日のお題は王道構成について。
具体的には、王道構成の活かし方について書こうと思います。


俗に言う「ベタな展開」が王道構成ですが、単純にベタな展開を構成すれば王道になるのかといえば、そうでもない。そうでもないというか、なるにはなるんですが、そのものにしてしまうと、参加者はまったく盛り上がらず、興醒めしてしまう。なぜか。
王道構成の肝は、「そのものずばり」ではなく、「実は王道構成」という展開にあります。王道構成であっても、物語の基本要素である「起承転結」を無視することはできません。というよりは、「起承転結を守っているからこそ王道構成である」ということが言えます。
そうして、起承転結の「転」をスムーズにPLに伝える舞台装置。これが王道構成の真髄です。


童話っぽい例を出すと、「王子様はお姫様を助けるために悪い魔法使いを倒しましたが、実は悪い魔法使いを操っていたのはお姫様を邪魔に思っていた意地悪な継母だったのです」というようなシナリオ展開があったとします。おそらく、悪い魔法使いを倒す時に、黒幕は継母であることをにおわせるセリフを吐くでしょう。
PLはこの時、初めて「なんて王道な展開なんだ!」と驚く*1でしょう。そして「喜び勇んで」今度は継母退治に向かうはずです。騙されてたはずなのに。いや、騙されていたからこそ、「結」における「悪の成敗」が合理化されるからです。


シナリオにおける王道というのは、「王道であること」自体をギミックとして利用します。
「予測不可能な面白いシナリオ」にするために、王道構成に逆らおうとして、逆につまらないシナリオになるというのは、実はここに原因があります。「よいセッション」において、PLがシナリオを理解する邪魔をしてはならないのです*2
王道構成は、「結」における盛大なカタルシスを保証します。何もかもがうまく解決しなくとも、話の辻褄があっていれば、不満は出ないものです……童話の童話たる由縁はそこにあり、「シナリオ展開の王道」は、実際にはそういった童話から学ぶことが多く、それらは「物語における主眼となる問題」を解決すれば、それでよしとします。
「シナリオの主問題」と「シナリオの主問題のキャラクターの個人的な受け止め方」を混同しないためにも、王道展開にならい、「キャラクターの個人的問題をシナリオ展開に絡ませない*3」ことが重要になるでしょう。


王道展開に必要なのは、「ストーリーとしての筋道」であって、「登場人物の心情*4」ではありません。ここのところを履き違えると、ひどいことになります。

*1:いや、驚きはしないか。思うだけかな

*2:もちろん、シナリオだけではなく、マスタリングも関係してきます

*3:ただし、キャラクターの個人的な受け止め方の演出を妨げることはあってはならないです。それは「シナリオとして」展開させる必要がないだけです

*4:あるいは、小道具となる伏線の利用や解決