GMという装置

たまに、GMというトップダウン装置をなくすことはできないだろうか? と考えることがある。
ストーリーの提供それ自体は、GMがいなくても提供できるのではないだろうか? システム的にフォローすれば、それ自体は可能なのではないか? そうは思う。
そして、その先。GMがいないセッションの風景を想像しようとする。PLがPCを操り、ストーリーを生み出し、セッションを進める。しかしそんな情景は想像の中にすら存在しない。


なぜか?


GMというのは、実際にはトップダウン装置ではなく、ボトムアップ装置なのではないか? とか、そういうことも考えるが、しかしもっと単純な理由として、GMがいたほうが、遊べる人数が増えるということがあげられるのではないか。
PL、というよりはこの場合、参加者、と表現するべきだろう。参加者には、能力差が存在する。なんの能力が違うのでもいい。能力自体は違わなくてもいい。過去が違えば、それは有意に個性の違いを生み出す。断じてしまえば、同じ人間などいないのだから、参加者間には差が存在する。それが大前提だ。
GMという装置は、この差を吸収するためのものであって、実際にはストーリーを提供する立場ではない。そう考えたほうが、TRPGというゲームをシステム面から理解しようとした時、わかりやすくなる気がする。と同時に、GMに求められるものがなんであるのかもわかるように思う。
GMには奇抜なストーリーなど求められてはいない。それが現時点での私の実感で、それに基づいているからそう思うだけなのかもしれない。


GMが難しいということを良く聞くが、なにが難しいのかとなると、非常に曖昧な答えが返ってくることが多い。それでもそれを集約すると、シナリオを作るのが大変だ、という回答が多いようだ。
世にはリプレイが溢れている。プロフェッショナルのものもあればアマチュアのものもある。リプレイには編集が潜んでいる。どんなぐだぐだのセッションも、編集によって見苦しい部分を削ることはできる。リプレイをまったく読んだことがないプレイヤーというのは、すでに稀有な存在になっているだろう。そんな少数を基準に話を進めても仕方がないので、誰もがリプレイを読んだ経験がある、という前提を用意することにする。
自分がGMをやる、となった時、リプレイの中のGMを想像、あるいは想定して、GMをやらなければならないと考えている人はいないだろうか? 少なくとも私は最初、そのような思い込みをしていた。SWのリプレイを読み、GMというのはすごいものだと思い、自分でGMをし、その落差に自信をなくしたりしていた。
そんなものになんの意味があるんだろうか? 編集されたセッションのログにおいて、GMが卒なくマスタリングしているなどという当たり前な現象を前にして、経験の浅いGMがショックを受ける必要がどこにあるんだろうか?
そして、そんな当たり前なことにすら、経験の浅い人には体感できないものだ。頭ではその理屈、編集されたログにおけるGMの素晴らしさ、は理解できても、実際の自分のマスタリングを前にして、どう編集したってああはならんと感じるのは当然のことではないだろうか。
GMに限らず、技術というのは経験と反省によって築き上げられていくものである。不必要な反省を初心者に迫るリプレイは、果たしてどれだけ参考書として機能しうるのだろうか?
もちろんリプレイの真価は参考書としてのものではない。しかしそうした機能を果たしてしまうのも事実ではないのだろうか。


話が逸れた。


GMのいないセッションの場で起こる現象でもっとも簡単に想定されるものは、「声の大きい人がやりたいことをやる」現象である。引っ込み思案、遠慮深い、軽々しい発言はしない、それぞれの理由によって発言を控える傾向のある人は、とにかく発言するスタイルの人に押し流されてしまう。
キャラチャットの光景などを見ていると、この傾向を特に強く感じる。
発言者こそが正義(いや、真理といったほうがいいかもしれない)となるTRPGの現場において、この落差を吸収するためにGMが機能する。
GMというのは、「みんな仲良くやりましょう」という理想を体現した機能を持っているわけである。
そのためにGMとPLには明確な立場の差が生まれる。そしてそれは生まれるべきなのである。
TRPGというハードウェアの上で、GMというソフトウェアが動き、PLというエンドユーザが処理を行う。GMというのは、言ってみればOSみたいなもので、TRPGというシステムにPLを結びつける存在である。
プラスアルファされる要素がGMの立場を複雑に見せ、処理しなければならない項目を多く見せているが、実際にGMに必要とされる機能は、「みんな仲良くやりましょう」であるのなら、悩むことは減るのではないだろうか。


シナリオを考えるのが苦手等々については、環境要素が大きくなりすぎるために特に考慮はしない。
この文章がGMを苦手と感じている人にとってなんらかの意味を持つことを願う。