FEAR製ゲーム

なんか主旨がよく理解できない記事を発見したんですが、言いたいことがまとめ切れなかったのでメモ書き程度に書き残し。


FEAR製ゲームがGMの負担を軽減するシステムを構築している、というのはわかるんですが、それがセッションとなんの関係があるのかよくわかりません。
少なくとも、GMの負担を減らすことはセッションの失敗を減らすことには繋がらないはずです。セッションの成功/失敗なんてものは、そんな瑣末なことには左右されないと思ってます。
「セッションの成功=参加者が楽しめた」であるのなら、別にGMの負担がどうこうなんてのは些細な話じゃないんでしょうか。初心者GMでもマスタリングしやすいように、という論旨ならまだ理解できるんですが、失敗しないセッションのために、となると首を傾げてしまいます。
それとも、セッションの成功/失敗ってなんか別の価値基準があるものなんでしょうか。


私は昔、FEAR製ゲームが嫌いでした。いまでも、オフでセッションする気はありません。オンラインで、お互いの顔が見えない環境だからこそ出来ると思ってます。そういう性格のものとして捉えている、ということでしかないですけど。
つまり、恥ずかしいんです。ドラマチック性を重視しているシステムは、非常に好みではあるんですが、好き嫌いと羞恥心は別次元のベクトルの話なので。
GMの負担の少ないといわれるFEAR製ゲーム」をやって思ったことは、FEAR製ゲームをやる人は、事前にある程度なぁなぁのスタイルでプレイするということを約束事として持っているように思います。ガチでカツカツなスタイルで遊んでる人、あるいは遊びたいと思ってる人はいまのところ会ったことがありません。(ガチでカツカツなスタイルが好きな人と会ったことがないわけじゃないです。FEAR製ゲームでそれをやろうとしている人と会ったことがないだけです)
そういう中でプレイして思ったのは、「初心者・中級者が楽しむことが出来るし、上級者もきちんと遊ぶことが出来るゲーム」としてのFEAR製ゲームです。これはゲームごとに約束事がはっきりしているからでしょう。汎用すぎないことがその結果を生み出しているんだと思います。
FEAR製ゲームの良さは、GMの負担云々の部分ではなくて、「システムの目的がはっきりしていること」じゃないかなあと思います。
みんなして同じ方向に向いてれば、どんなシステムでもGMの負担て減るんじゃないんでしょうか?