雑記:都市伝説の恐怖

都市伝説の内容は別に恐怖の対象ではなく。
「本当にあった話である」という前提の下に語られる「誰もが嘘だとわかっている話」が「存在している」ということこそが都市伝説の恐怖の本質なのではないか、と思ったりした。
どういうことかというと、「真実である、というフェイク」と「フェイクである、という真実」の境界線が曖昧になるということ。
どんな話が「本当にあった話」なのか、「嘘の話」なのかの境界線がぼやけてくる、ということです。
そこに必要なのはリアリティではなく、人口に膾炙しているかどうかであり、人口に膾炙するかどうかは、真実とは無縁である、という構図です。
真実というものの耐え切れないほどの軽さをこれほど象徴的に表現しているものもない。
そして情報操作によっても、その軽さは助長されるわけです。