期待値と現実

過度の期待は禁物だけど、期待をまったくしないというのも精神衛生上は確率的に有利だけどまったく全然精神衛生上よろしくないんじゃないかなと思ったりした。
「期待する/しない」というのは、あくまでも「期待することができる」ことを知っている上で成立する概念なので、つまり良例を先に見てからじゃないと悪例が認識されないので、一度良例を認識した後に悪例を認識しなきゃならないというのもなんか因業な話だよなあとは思ったりする。
結局は二面性というか表裏の問題で、背中合わせの概念だからそれが根本的な問題になるわけじゃないですが。
できる人とできない人の差というか。できる人を見た後にできない人を見たら、やっぱり「あーあ」って思うよなと。そういう話でしかないんですけども。
できない人を掬い上げるというのは、どこまで許容されるもんなんですかねえ。「できない人」と決め付けることと、「掬い上げることができる」と決め付けることの許容、ということですが。
「できない人」と決め付けられる人にしてみりゃたまったもんじゃないわけで。だからあんまり普段はそういうこと言わないししませんけど。でもそう思われてるということを伝えておかないと、この気分的にもにょる部分は永遠にそのままで、さらにもにょもにょしていくという。
まあ人間関係の話なので、正解があるわけでも、正しい手順があるわけでもありませんけども。
なんか最近そういうことに関わることが多いので、いろいろと考え中。