自分で言ったことをすぐに疑う

ロールプレイが状況の積み重ね、という仮定が真であるとした場合。
「自分をキャラクター化して自分をロールプレイするために必要な状況を記述してください」
とか言われても不可能なわけです。
つまり、自分というものは、そう簡単には抽象化できないわけです。
ところが、他人というのは、ある程度抽象化できます。できなければいけない、とも言えます。
他人は自分の鏡像、なので、自分の中に存在する要素でしか他人を記述することはできず、つまりそれは他人の断片にしかならないので、結果的に抽象的に記述していることにはなるけれど、別に忠実に記述しているわけではないわけです。
血液型性格分類レベルに抽象化しちゃってる、というのがわかりやすいでしょうか。それが正しいかどうかではなく、それならわかりやすいから程度の理由で抽象化している、ということです。

血液型性格分類 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E

翻って、キャラクターを記述する時というのは、この他人を記述する手法で抽象化して記述しているわけです。この場合は自分の断片を埋め込んでいく形になります。
そうなると、キャラクターについて記述可能な範囲、というのは、「決断を要請された場面における指針となる状況」に過ぎないわけです。
周辺状況は日常を規定し、場合によっては決断指針すらも規定しますが、非日常は日常の上に存在する概念に過ぎないように、普段の状況というものが結局のところ一番影響力を持つものであることに変わりはないわけです。