ぶっちゃけの意義と効果

まあ意義なんてのは置いておいて。
効果はある、というのが先日のセッションの結論。
ただし、ぶっちゃけすぎると、やっぱりちょっとなんだかな、という気持ちが湧いてくる。
というか……


GMがぶっちゃけをやりすぎると、吟遊GMとなにが違うんだかよくわからなくなりました。やってる時は、「ああ、こうすればよかったのかな」と思いながらやってたんですが、いま反芻すると、なんかそんな感じの感想が。
もちろん、世の中には吟遊GMでもいいというツワモノもいるので、吟遊GMを頭から否定する気は毛頭ないんですけども、なんというか、手取り足取り「ここでこういうアクションよろ!」っていうぶっちゃけは、なんかぶっちゃけと違うんじゃないかと。たぶん違うんでしょうけども。


それでいて、「PCの自由意志」よりかは「PLの煮えロール」を優先するんだったら、ぶっちゃけたほうが合意への到達は早いわけです。
煮えロールなんてのは結局、「かっこいい妄言吐きたい」程度のものなわけですし、かっこよさを外さないためには、場面/シーンに適合してなきゃいけない。GMが「このシーンでこういう煮え方をしてくれ!」ってぶっちゃけたほうが、PLは安心して煮えられるのかもしれない。
なんとなくプレイグループが特殊なんだろうなということが理屈でわかってきた気がしないでもない。ロール特化型システムであるところのエンゼルギアをやり続けたらこうなるのかもしれないとか責任転嫁したくなるぐらいに。
あ、でも、ロール特化型システムにもいいところがあって、カリカリにデータチューンしたキャラ作っても無駄ってことがわかりやすく周知されたのは効果あったというか意味があったと思います。極論なのでそれを一般化されてもそれはそれで困ることになりそうだけど。


アリアンロッドのチャットシステムの開発を急がねばー。数値的にかつかつな戦いとかもできるシステムのほうが、ロールするにしても一風違ったものになるんじゃないだろうか、という期待。