オヤクソクという黄金律の暗黙の了解の是非

元エントリの主旨とはだいぶかけ離れます。

オヤクソクの物語的意味 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20090927/p3

物語におけるオヤクソクな展開について、その必然性についての考察ですが、私がオヤクソクで考えるのは、「オヤクソクは必ずしも共有されていないルール」だということです。
これは先入観の影響力の話にもなってくると思いますが、一つ具体例をあげてみたいと思います。
「アリババと40人の盗賊」の話を知っている人、知らない人がいる状況があり、その人が(わかりやすい例として)剣と魔法なファンタジーRPGをやっていたとします。

アリババと40人の盗賊 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%90%E3%81%A840%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%9B%97%E8%B3%8A

知っている人は、「開かない扉」があれば、合言葉を言えば開くかもしれない、と考えると期待できます。ファンタジーで魔法な世界なので。知らない人は、「開かない扉」があれば、鍵があるんだろう、と考えると期待できるでしょう。現実には、合言葉で開く扉は(声紋認証とかありますが)ないからです。
「開けるための手順が必要」という点は共有されている、と言えるでしょう。しかし、「どうやって開けるか」という点は、それぞれの知識や経験(場合によっては状況)によって異なってきます。もちろん、知らない人も、自分で「合言葉を言えば開くかもしれない」と思いつくかもしれません。(これは、「もし、自分が鍵をかける側で、魔法も使えるような世界だったら?」という推論になるのかしら)
この場合、共有されているのは「扉は開く」ということであり、「どうやったら開く」の部分ではありません*1。しかしオヤクソクとして期待するのは「こうしてくれるだろう」という展開であることが多く、それは「どうやったら開く」の部分にかかることが多い、と考えています。
応用を効かせるなら、扉を開けようとしている人が、合言葉だろうが鍵だろうが(あるいは他の手段でも)、思いついたほうを採用する、ってこともできますが、事前にそれらを網羅するのはやってらんないので、大体はアドリブでしょうか。


「オヤクソク」というのは、究極的には先入観、暗黙の了解でしかありません。それは暗黙的にしろ明示された後にしか共有されません。ミステリにおけるミスリードは、誤った先入観を明示して作ることから、誤った「オヤクソク」を与えることによって機能します。
先のエントリの情報共有の話じゃないですけども、わりとこのレベルの思い込みをきちんと確認するのって難しいし、だからこそ注意しなきゃダメだよな、と思ってます。
ぶっちゃけ、「シナリオの展開上、必須のオヤクソクがある場合は、セッション開始前に公知する」のは必須だと思い始めてます。

伝えたつもりの情報と、伝えられた情報の落差 - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20090924/p1

*1:扉は開かない、と思う人もいるかもしれませんが横道にそれるので省略