システム化の功罪

雑感に近いですが、「システム化を進めると人材は育たない、システム化を怠るとユーザが離れていく」という問題があると思います。
システム化というのは、裏返せば質の均一化で、「誰でも一定の水準の仕事ができるようにする」ためのものです。そこではフレーム(システム)に従ったアクションは取りやすいですが、フレーム自体を書き換えたり逸脱したりすることは困難になっていきます。
「飼い慣らされる上達」と「開拓者の上達」は質が異なると思うのでこんな書き方をしてますが。
学校教育は前者に近く、というかバランスの比重として前者に重きを置いている部分が多く、というのは社会において教育というものは構成員の一定の質を保証するために実施されるという主眼があると思うからです。そこに必要なのはシステム化によって得られる恩恵だろう、ということです。
小学生の頃は算数で、中学生になると数学で、まあそれでなにがどう変わるかというのは私としてはあまりよくわかってないんですが、ともあれ、TRPGのルールというのも、段階的に活用する方法をもうちょっと模索したほうがいいのかもしれない、TRPGを理解するためのシステムとTRPGを遊びつくすためのシステムは別の評価軸を持つべきなのかもしれない、と思ったり思わなかったり。
それもまたシステム化でしかないんですが。そういう矛盾がフレーム問題とかメタ問題になるのかなあ、というような雑感。

天才不要論

システム化の話に関係してくると思うんですが、システム化によって構成員の質の均一化が成った場合、そこでは逆に天才のようなシステムから逸脱した存在は不要になるというかむしろ積極的な意味で邪魔になるんではあるまいか。
出る杭は打たれるというけれど、集団における個性の主張はよほどのカリスマとか牽引力とかで集団自体の方向性とかを自分のほうにひきつけることができないと単純に浮いちゃうだけなので、能力を発揮する場が集団の中から奪われていくような気がする。
反面、デザイナーは集団に埋没してちゃいけないわけで。システムとデザイナーの中間にいるのがGMになるわけで。
構造問題として考えると面白そうだけど別に天才なんていないのでまあ話の種程度に留めておく所存。