常識、非常識

TRPGではよくこの手の話題が出るので先制攻撃(誰に

議論される骨子には、「特定のセッションにおける特定のシーンでのGMあるいはPLの行動(判断)について」があるわけですが。
客観的な*1立場からは、結局、それが常識だったか非常識だったかはいくらでもどうとでも論じることができるわけで。その時点で、結論には意味がないわけです。
でも議論はなくならない。なぜかといえば、その点に非常に敏感になってるからなんだろうな、というのがあるんだと思います。だからこそ議論は白熱し、明後日の方向に向かい、なんとなく答えが出た気になって別の議論に発展する形で自然消滅する、と*2

しかし実際のところ、常識というやつは、「特定のコミュニティにおけるコンセンサス」というやつで、「日本人の常識」と「東京都民の常識」と「CRPGゲーマーの常識」と「TRPGゲーマーの常識」は全部違うわけで。観点の違う「常識」をそれぞれの立場を出ずに論じれば、そりゃあ答えは出ない、と。
たぶん、それが楽しくて議論してるんだろうから、それはそれでいいんでしょうけども。ふーん、とは思っても、それに参加したいなあ、とはあんまり思わないわけです。私的には。
別にそんなのはわざわざ議論しなくたってどこにでも転がってる意見なわけで*3。それを汲み取れるか汲み取れないかを考えた場合、じゃあ誰のために汲み取るのかと考えれば、おおむねは自分のためですけども、その常識を適用しなきゃいけないコミュニティのため、になるわけで、そのコミュニティ外の常識を「参照」するならまだしも、そのまんま「適用」したら、それこそ混乱と不和の種になるだけでしょう*4
間違ってはいけないのは、そういう「外部の常識」があることを忘れないことであって、内部と外部の境界をなくすことではない、と思うわけです。

*1:メタ的な

*2:別に根拠はないです

*3:それこそ小説でも漫画でもテレビの中にだって

*4:ただの電波扱いになるのかしら