この朽ちたる身が願わずにはいられずに(8)

「まったくもうなんなのアレは!!」
 鈴音はそう怒るだろうと思ったので、鈴蘭苺はなんとも言えず、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「何様のつもりなのかしらね! まあヴィヴリオ大佐直属の完全機械化兵様なんでしょうけど! だからってやっていいことと悪いことがあるのよ!!」
 まあまあとも言えず、出されたアイスコーヒーをストローで吸い上げる。自分が完全機械化兵だということを直接的には知らないはずだから、まあ、こういう普通のお客様扱いも間違ってはいないんだけども。
 鈴音のことだから、きっと自分が完全機械化兵だと知っても同じようにコーヒーを出してくれるだろうな、と思った。それが鈴音のいいところであり、また、悪いところでもある。
 相変わらず殺風景、というか質実剛健を形にしたような鈴音の部屋を見回す。視線の逃げ場が欲しかっただけだが、秋の部屋と同様、目に付くようなものがない。整備マニアとしか思えない書棚を見たところで、出てくるのは溜め息ばかりだ。
「整備の人は災難でしたねー」
「災難なんてもんじゃないわよ、アレは!!!」
 がつんと一発、ちゃぶ台を殴りつけ、それでいてアイスコーヒーには小波しか立たないんだからよくわからない。実は拳法の達人、とか言われたら納得するしかないけれど、いつの間にそんなものを身につけたのやら。
 先刻の戦闘訓練の途中、機体の調子がおかしいと、一方的に訓練を中止した桜花は、その足で整備班の詰め所に殴り込みをかけ、実際数人を殴り飛ばし、自分の機体を整備したやつは誰だ、殺してやるから前に出て来いと無茶な大暴れをかましたのだ。
 傍目に見てもおかしいなあと思える暴挙だったので、秋に倣って状況を静観していたのだけれど、そんなことをされて黙っていられるほど鈴音はおとなしくはない。しまいには掴みあいの喧嘩になる勢いだった。
 鈴音を止めたのは秋だが、暴れる桜花を止めたのはヴィヴリオ大佐だった。訓練の中継を見ていたらしいから、桜花が暴れているのはすぐに察知できたんだろう。あるいは整備班から通報があがったか、どちらかだ。
 その場はそれで収拾がついた。桜花はヴィヴリオ大佐の姿を見た瞬間、胸倉を掴み上げていた整備員を放り投げて、ようこそこんなむさくるしいところへなどと言い放った。
 そんなわけで、鈴音にしてみたらなにもかもが面白くないわけで。
「まあ怪我もなかったんだし、いいじゃないですか」
 実際、あれだけの大立ち回りを演じておきながら、整備兵に負傷者は出ていない。普通、完全機械化兵が手加減なしで人を殴ったら、頭の一つや二つ、軽く吹っ飛ぶ。
 手加減、していたのだ。十二分に配慮された力で、逆に見かけの恐怖を煽った。
 このタイミングでそんなことをする理由はなにか、と、冷静に考えれば、ある程度は見えてくる。しかしあの場にいた整備兵で、冷静に考えることのできたものは皆無だろう。ぶちぎれた完全機械化兵という、本来なら存在しない存在を目の当たりにして、冷静でいられるはずがない。
 そういう意味では、実に効果的な陽動だったといえる。ぷりぷり怒ってるのは鈴音ぐらいで、整備兵の大半はほっとして終わった、という結末も含めて。
「誰か怪我してたら私がぶっ殺してるわよ!!」
 普段ならここまで怒らない鈴音だが、状況が状況だけに、怒りの納めどころが見つからないらしい。もとより、変なところで正義の人だから、ああいう理不尽は許しがたいんだろうけど。
 面白いなあ、と思う。一緒にいて飽きないなあ、とも思う。これでこの人が秋の恋人でなければ、言うことないのに。
「お姉さまもわかってるんでしょう? あれが必要なことだったのは」
「……まあ、ヴィヴリオ大佐が出てきたからね」
 桜花がなにをしたところで、ヴィヴリオ大佐がじきじきにお出ましになって事態を解決する必要はない。そもそも、そうまでしなければ解決できないような問題を、桜花が起こすことはありえない。
 それが理性だ。完全機械化兵は、いくつかの制約を課せられている。味方に対しては危害を加えることができない、というのもその一つだ。
 だから大丈夫だ、と誰もが考える。それは事実である。
 しかし、ルールには常に抜け道がある。判断主体がそれを味方だと認識できなければ、その制約は意味を持たない。
 つまりは、整備員が自分の敵だと認識できれば、桜花は整備員に対して躊躇なく攻撃の手を振るえるのである。
 それもまた、理性だ。普通、勢いに飲まれた人間は恐怖に陥落しやすい。物事を悪いほうに考えてしまう状況で、まともな状況判断などできるはずもなく、もしもの事態を想定する。
「だからってさあ」
 続く言葉は口の中で濁らせて、鈴音は大きな溜め息を吐いた。
「まあ、いまの状況がよくない、ってのはわかるんだけどさ。大佐がああいうことをやらせたってことは、整備班に裏切り者がいるってことじゃない」
 ああ、やっぱり。鈴音が怒っていたのは、いや、恐れていたのは、やはりそれだったのか。
 桜花の行動に対する批判も確かにある。ヴィヴリオ大佐のやり口にも文句がある。
 だがそれよりもなによりも、敵の内通者が身内に、しかも身近なところにいるという状況のほうが、彼女は気に入らないんだろう。
 やさしい人だから。
「私は私で命賭けて仕事してるんだけどなあ」
 それは独白で、だから自分の言葉を求めているわけではなくて、ただの呟きでしかないんだけれども、秋がここにいれば、きっとその言葉にもたどり着くべき場所というものが出来たんだろうと思うと、なんだかやるせなかった。
 秋に頼まれてここに来たけど。なんだか場違いな気がしてしまう。
 私は確かに鈴音に好意を感じているし、鈴音のためなら多少の労苦は厭わないけれど、見せ付けられるばかりのこの状況は、あまり面白くはない。
 秋と鈴音の間にある絆とか、そういうものの強さが見えるばかりで、自分が入り込む余地はないように思えてくる。
 鈴音がもっと嫌な人だったら簡単なのになあ、と思うのは、結局はないものねだりに過ぎない。そんな人を秋が好きになるとも思えないし。
 ヤな三角関係だ。溜め息を一つ零して、苺は曖昧な笑みを浮かべた。