この朽ちたる身が願わずにはいられずに(9)

 暗闇に一人佇んでいる。
 そこには何もなく、誰もいない。踏みしめているはずの地面ですら、疑った次の瞬間には消えてしまいかねない朧さしか伝えてはこない。
 ここはどこだろう、と、ぼんやりと考える。
 自分は死んだのだろうか。死後の世界、なんてものを信じているわけではないが、そもそも自分は本当に死ぬことができるんだろうかと疑ってばかりだが、これがそうだと言われれば、そうなのかもしれない、と思う程度にはそれらしかった。
 大佐。そう、大佐だ。
 大佐の執務室に入った直後、撃たれた。そこまでは記憶している。いくら重傷を負っていたとはいえ、注意力が散漫になっていたという事実は否めない。あの後、大佐がどうなったかと考えると、それだけで死にたくなる。
 すでに死んでいるというのに、死ぬことを考えている自分に、少し、笑う。
 死にたいとずっと思っていた。自分に生きる価値はないとずっと思っていた。
 信じていた、と言ってもいい。彼女を殺し、生みの親を殺し、不良品の烙印を押された完全機械化兵、つまりはただの備品である自分に、生きる価値も資格もないのはわかっている。
 死なせてくれなかったのは大佐。死ぬことを許してくれなかったのは大佐。
 だから僕にとって、大佐は他の誰よりも殺したい人だった。あの人に見つめられるだけで呼吸が止まり、鼓動が速くなる……機械の体にそんなものはないけれど、生身の肉体を知っているらしい脳だけはそんな幻想を紡ぎ出す。
 誰よりも愛しくて、誰よりも憎い人。
 だから自分は、大佐のためならなんでもできた。絶望的と言われた戦場で戦うのも、死にたがりの自分がそこから生還するのも、すべてを大佐のせいにできた。
 ずっと、知っていた。大佐の言う通り、実際のところ、死ぬ気なんてないということに。
 そう、死ぬ気なんてない。まだまだ復讐したりない。自分をこんな世界に生み出して、こんな残酷な世界に放り出して、人間じみた人格を与えたことを、許したりはしない。
 機械でいたかった、と思う。痛切に、思う。ただの機械として動作していたなら、こんな気持ちの悪い感情に振り回されて、生きるの死ぬのと考えることだってなかったのに。
 だから、僕は不良品で。だから、僕は廃棄されるべきだった。
 機械の自分と、人間のような自分のバランスを取ることができないでいる。
 ずっとそんな宙ぶらりんのまま生きてきた。生かされてきた。
 生きていればいいことだってある、なんてのは欺瞞で、うそ臭い理想主義で、気持ちの悪い楽観でしかない。もしいまの自分が望むものがあるとすればそれは大佐だけだけど、この世で手に入らないものの筆頭も大佐なんだから、いいことなんて起こりようがない。
 大佐の心はすでに誰かに奪われている。それは僕ではない誰かで、僕の知らない誰かで、大佐に無防備な笑みを浮かべさせることができる誰かだ。
 ずっと大佐の傍にいた。何度も微笑みを見せ付けられた。
 その度に僕の心に湧き上がるのは嫉妬で、どうしようもない邪念で、どうせ自分のものにならないならと、大佐を壊してしまいたくなる黒い感情だった。
 だから僕は知っている。僕は大佐が好きなわけじゃない。愛してるわけでもない。ただ独占したいだけで、一人占めにして頭を撫でて欲しいだけで、僕はただの子供なんだということを。
 だからやっぱり、僕には大佐の傍にいる価値なんてない。資格だってない。生きる価値すらないのに、そんなものがあるわけない。
 大佐が有能であればあるほど嬉しいのは、そんな人を好きになった自分を誇りに思いたいから。でも大佐のことを好きなわけじゃない自分を知っているから、これ以上ないぐらい、自分の誇りが汚れていることを知っている。
 あまりにも惨めな。惨め過ぎるほどに惨めな。
 わかってるから、死にたかった。死ぬことによって救われるからじゃない。死んでしまえば惨めな自分を感じなくて済むから。
 どこまでも逃げていたかったんだと言ったら、大佐は怒るだろうか。それとも、そんなことは知っていたと切り捨てるだけだろうか。
 死んでしまった今となっては、わかりようがない。
 大佐に怒られることすらない、死を想う。
 こんな寂しいものになるために死んだんじゃないと、初めて泣いた。