この朽ちたる身が願わずにはいられずに(13)

「よく来たな」
 独居房に面会に来た二人組を見て、私は苦笑を隠すことができなかった。
「暇してるかなと思ってさ。来てみた」
 篠宮秋は、相変わらずなにを考えてるのかよくわからない顔でそこに立っていた。
 独居房、と言ったところで、たかが前線基地にそれほど立派な収監施設があるわけでもない。独立した個室、と言ったほうが実態としては正しく、ベッドと便器があるだけの、粗末な監獄だった。
 外界とこの部屋を繋ぐ金属製の扉には、覗き窓がある。お互いがそこに顔を近づけないと、誰なのかもわからない。
 秋は覗き窓からは少し離れたところに立っていた。その隣には、鈴蘭苺の姿があった。
「助命嘆願なんぞ出したらしいな? それだけで十分反逆罪ものだぞ?」
「うん、まあ、そうだろうね。でも僕は、ギアドライバーだから」
 反逆罪に問いたくても問えない軍部の弱みを握っている少年は、強かに微笑んで見せた。今後、真っ先に危険な任地に送り込まれる可能性すらも一笑に付して。
 強くなったものだ、と思う。初めて会った頃は、まだ小学生だったというのに。
「あなたは敵じゃない、と思うんだ。少なくとも、僕にとっては。だから、それなら僕は、僕にできることをしよう、と、そう思ったんだ」
 どこをどう肯定的に受け止めればそういう結論が出てくるのか。私はその昔、情報部の依頼で民間の学校に潜入し、自分と同じ適正者を探す任務に就いていた時、秋の友人を拉致したというのに。
 この基地で再会したときは、それも運命だろうと思った。自分はきっとこの少年に殺されるに違いない、と思った。
 それが嬉しかったことを覚えている。私を殺してくれる者がいることが。
「自分の身を危険に晒してまで?」
「なにが危険なのかは僕が決める。僕にとって大事なのは、少なくともあなたを見捨てることじゃない、ってだけだよ」
 見捨てるもなにも、私はお前に助けてもらう価値もなければ義理もない。指導教官としていくばくかの戦闘技術を教えたが、ただそれだけで、それにしたって、秋の得意とする射撃技術において、どれほど役に立ったかは怪しいものだ。
 だから私には、ここまで思われる理由はないとしか思えなかった。
「なにをバカな」
 理解できなくて、それでも口をついて出た言葉は、そんなものだった。芸のないことだ。
「しょうがないじゃない、こいつ馬鹿なんだし」
 隣の苺があっさりと言い放ち、秋は露骨に眉をしかめる。この二人はいいコンビだ。
「あんたもそうだけど、馬鹿ばっか。危険なことはするんじゃない、私のことは放っておけ? そんなことできるなら最初からここにいるわけないじゃない。いまさら敗北感に浸ったりするぐらいなら、もっとできることあるんじゃないの?」
 ずけずけと言い放つ。こいつは昔からそうだった。誰もが言い辛いことを、簡単に言ってのける。それで敵を作ろうが気にしない。我慢して仲のいいフリをするぐらいなら、我慢しないで仲違いをする。そんな方法論を、方法論でしかないものを、迷わず実行するその強さ。
 それは、私にはない。羨ましいとしか言えない強さだ。
「とりあえず、獄に繋がれるしかないがな」
「ま、そうよね。暴れて刑期を延ばしてもアホだし」
 わかってて言っているんだから面白い。
 感情が理性よりも優先されている。野放図にではなく、理性という抑制の効いた形で。それはまさしく感情と理性の融合だ。
 私はそんなものは教わらなかった。ただひたすらに感情を殺せと、それだけを教え込まれた。
 ああ、私はなんと惨めな生き物だったのだろうかと、そう思う。
「とりあえず私と秋でなんとかするから、あんたはそこで待ってなさいよね」
「なんとかとは? どうやって?」
「そんなこと私の知ったこっちゃないわよ。やるのは秋なんだから」
「なにそれ」
「役割分担。なんか間違ってるとでも?」
「いや、まあ、そりゃあ、僕としては、そのほうがやりやすいけど」
「なら愚痴愚痴文句言うんじゃないの。男の癖に細かいんだから、まったく」
 苺は、苺になる前からこうだった。なにもかもが自明、なにもかもが当然、そんな顔をしながら、その実、自分はあまり考えていない。
 なるようになるし、なるようにしかならない、と、割り切り、開き直っている、のかもしれない。そうじゃないのかもしれない。
 あの任務において、篠宮鈴音と、命と一緒にすごした時間がいまもこの胸にあるのは、きっと、だからなんだろう。
 それは理性的ではない。どこまでも感情的に、私を生かすモノ。
「わかった、わかった、降参だ。好きにしてくれ」
 両手を上げて、降参のポーズを取る。こいつらに付き合っていると、腹が何個あっても足りはしない。どれだけ捩れさせてくれれば気が済むのだろうか。
「お前たちの言うところの助けが来るのを待とう。どうせ他に出来ることがあるわけでもない」
「そうそう。ひねた大人もたまには素直な子供を信じてみなさいってのよ」
「信じられないからひねてるんじゃないのかなあ」
「いらん突っ込みしないの」
「いてっ。なんでそこで足踏むのさっ!」
「私だから。文句ある?」
「あるけど言ったって聞きやしないくせに」
「私だもの。文句ある?」
「……ありませんよーだ」
 結局は秋が折れる。それがこの二人のやりとりの中心だ。
 羨ましい、と、単純に言えば言える。私にはこんなことができる友人などいなかった。いや、いたこともあるが、それらはすべて戦争に奪われた。
 失った過去。まだ見ぬ未来。
 天秤にかけるまでもなく、私はまだ未来を望むことができる。余命いくばくもない体を抱えていたとしても、未来を信じることはできる。
 朽ちたるこの身が願わずにはいられない。私にも未来があり、未来ある若者の明日を守ることが出来ることを。
 いま生きている、その意味。なにかあるのなら、それに従おう。なにもないというのなら、それを創ろう。
 来るはずのない明日を得た者として、この喜びを力に変えて。私は未来のために生きるのだと、いま初めて誓う。
 守らねばならぬ子らがいる。自らの子を望むことはできない我が身だが、ならばなおのこと、それらを守ろう。そう、誓う。
 卑賤非才の我が身なれど。望みの丈に、限りはない。
 生きていれば、願わずにはいられぬ日もやってくるものだ。