完璧主義

おとなり日記にあった2005-09-04のエントリを見て、あーやっぱりみんなそういうこと考えるのかなーと思った。
というのは、私は以前からここのエントリの中で「PLももっと意見言って欲しいなー」とか、「希望出して欲しいなー」とか言ってることの、ある種の行き止まりの形のように思えたからです。
んでもってこれから書く文章については、私はどーやってその辺処理してるかなーということについて考えてます。


「PLにしろGMにしろ、完璧はありえない」という話。まあ、それはわかる。ただでさえセッションは水物なんだから、常に、いつでも、誰にとっても面白いセッション、ましてやシナリオなんてものはありえない。
ありえないけれど、ありえないとわかってるけれど、ありえないからこそ求めているんじゃないか、そんな気がする。つまりは、理想だとわかってるけど、だから妥協するんじゃなくて、理想は理想のまんま、理想として持っている、というか。完璧な状態を理想に据えて精進しようとする。
そんでまあ、GMやって、シナリオの欠点が見えたりして、逆に良かったところってよくわからなくて、後ろ向き思考のツボにはまりやすい状態になったりして。そこでPLが一言、「これこれこういうところが面白かった」とか、「これこれこういうところがいまいちだったかなあ」とか、具体的な誉め言葉とかダメだしをしてくれると、とても気が休まる。
なぜかというと、通り一遍の言葉ではなくて、きちんとセッションに参加してくれてたことが伝わってくるから。


この、「きちんとセッションに参加してくれる」という部分があれば、成功も失敗も等価なんじゃないかな、と最近思います。継続的にプレイを続ける環境であればあるほど、失敗は次回以降の成功に活かせばいいだけで、同じ失敗を繰り返すとちょっとアレゲだけど、でもまあ、次回以降も一緒に遊んでくれるのであれば、それなりに認められてるということでもあるだろうし。
やる気をなくすのは簡単なんですよ。ぶっちゃけ。やる気を維持することがどれほど難しいか、ということでもあるんですけども。
ただ、失敗を原因にして継続できなくなる、っていうのは、なんだかこう、自分に対する敗北宣言だよなあ、とも思うわけです。なので、距離を置きたくなることはあっても、それから完全に離れるということは、もうないんだろうなあ、と最近思ってます。
まあ、一緒に卓を囲む面子がいるから言えることですが。


なんだろうなあ。ぶっちゃけると、「正しい戦争」のプレイ後、似たような状態だったんですよね、私。
面白いシナリオを作った自信、は当然あったんです。で、たぶん、いろんなものが噛みあった場合、「自分が思う形の」おもしろいセッションにもできたと思うんです。もちろん、PLの望む形で、そういったストーリーテリングはできただろうという前提でです。
ただ、「正しい戦争」では、自分で作ったシナリオの足を、よりによって自分のマスタリングで引っ張ってしまった。もう少しうまく回せたらなあ、という反省点ばかり見えてしまった。


それでまあ、反省というか、自粛というか、しょんぼりしていたんですが。そんな状態で新規に卓立てても参加してくれるPLはいるし、それならそれでいいんじゃないかなあ、といまは思ってます。
相手がどうやって受け取るかはわかんないですけど、何気に致命的なことを言ったり言われたりすることはままあるわけで。だからスルーするとか、そういう話ではなくて、改めて確認するぐらいでちょうどいいんじゃないかなあ、と思います。
そんな深い意味もなく致命的なことを言いまくってるだろう私は、あんまりそんなこと気にしちゃいけないのかもしれません。
ただ、自分に嘘ついたり誤魔化したりするのはいただけないよなあ、と思うだけです。