(16)

 相変わらずむさくるしい場所だな、と思いながら、戸口から先に進む気になれず、開け放たれたドアをわざわざノックした。
 数人が顔を上げてこちらを見たが、ああ、とでも言いたげな顔をして、またもとの作業に戻った。不親切な連中だ。
「おう、コレットの嬢ちゃんじゃねえか。またなんかあったか?」
 一番奥まった席、というのは一番偉い人間用のものだが、その男は微塵も偉そうな気配を見せず、子供のような笑みを浮かべてぶんぶんと手を振った。立ち上がる気はないらしい、ということは、やはり、この中に入っていかなければならないんだろう。
 ため息一つ、歩き出す。ドアをノックするまではあった喧騒がぴたりとやんでいることには気づいていたが、静かなのはいいことだと思い、特に気にはしなかった。
「また、という自覚があるのなら、もう少し気をつけていただきたい」
 小脇に抱えてきた書類を、叩きつけるように差し出す。瑞穂基地整備班をまとめあげる名物男、中島三郎は、人好きのする笑みを浮かべながら書類を受け取った。
「いやあ、どうも書類仕事ってやつは苦手でなあ。部品数とかなら間違えねえんだけども、その他はどうもざるでいけねえ」
 伝法に言いながら、書類に目を通す。確かにこの男が間違えるのはいつも似たような箇所だ。日付、部品名、部品数、そういった部分を間違えたことは一度もないが、請求理由や使用用途の項目は、書いてあってもなくても変わらないようなことしか書いていないことが多い。
 ある程度は目こぼしするが、さすがに空白では稟議のしようもなく、突き返すことになる。ものがものだけに後回しにすることもできず、こうして直接訂正してもらいにくるのが慣習になりつつあった。
「それと、嬢ちゃん、というのもやめていただきたい。あなたは民間人の出向組だ、階級をどうこう言う気はないが、これでも私はあなたよりも年上だ」
「おう、そうだったか。わりぃな、嬢ちゃん」
 書類の空白欄を四苦八苦して埋めながら、中島は生返事を返す。まったくもって人の話を聞かない男だ。
 もうそれにも慣れた。小言を言うのにも慣れたが、流されるのにも慣れた。あまりいいことではないと思うが、何をどう言っても堪えないのだから仕方がない。
「使用用途、使用用途……うーん、新兵器開発、じゃだめかね?」
「具体的な開発プランを提示してください」
「んー……じゃ、保守部品でいっか」
 じゃ、とか、でいっか、とか、そういう理由で請求するものではない。
 ではないが、言っても聞かないので諦める。その思いつきとしか思えない兵器開発によって、何度か急場を凌いだ実績がある以上、そう無碍にもできないというのが、経理を含めた基地上層部の見解になりつつある。
 実際、腕はいいのだ。他の整備員なら一週間はかかる作業を三日で終わらせるなどざらだし、廃品に近い戦闘機をなんとか動けるようにしてくれと頼めば、本当になんとかしてしまうのだから。
 だが腕と人格は必ずしも正比例はしない。腕がいい分、人格的にはなにか間違っているとしか言いようがなかった。
 それでも整備班において、中島ほど敬愛され信頼されている男もいない。あの北見ですら一目置いている、というのだから、人間、なにがどう評価されるのかわからないものだ。
「あいよ。毎度すまねえな。今度はこっちから出向くからよ」
 ボールペンで殴り書きされた書類をこちらに渡しながら、そんなことを言う。
「何度も呼び出ししているんですがね。一度も来ていただけた試しがない」
「あん? そうだったか?」
 んなこたねえと思うんだがなあ、と中島は首をひねる。何度も呼び出しをかけている事実がある以上、中島の耳に届いていないのか、中島が聞いたことを忘れているかのどちらかだ。おそらく後者だろう。整備中の中島は、整備以外のことは考えられない生き物になる。
「まあいいじゃねえか、嬢ちゃんも俺の顔見られて満足だろ?」
「じょ、冗談はやめていただきたい」
「あれ、受けなかったか。この冗談で笑わない奴はあんまりいないんだがな」
 わっはっはと笑い飛ばす。どうもここは苦手だ。ペースに巻き込まれる。
「んまあいつでも来てくれや。うまくはないが茶ぁぐらい出すぜ」
「それも一度も出てきたことはありませんがね」
 書類さえ整えば、こっちはそれでいい。受け取った書類にざっと目を通して確認し、それでは、と挨拶して退出する。
「そんな肩肘張るなよ。もっと気楽にやったって誰も文句言わねえからよ」
 背中にそんな言葉を投げつけられ、思わず振り返る。
 中島はいつも通りの子供みたいな笑みを浮かべていた。
「書類をきちんと出してから言っていただきたいものですね」
 おっしゃる通りだ、と言って、また笑う。傲岸不遜、傍若無人、本来ならそう評されるべきはずなのに、どうしてもそうは思えないのが中島の人徳というやつなのか。
 部屋を抜けると、また喧騒が復活する。おかしな場所だ、と思いながら、コレットは書類を処理するために、職場に戻った。