(27−8)


 そこで待っていたのは、ヴィヴリオ大佐ではなかった。
「加賀見節子。……一体なにをやっている」
 大佐が座っているはずの席で昂然とこちらを見据えているのは、機械化兵、加賀見節子だった。
「なに、命の洗濯という奴だ。中々の座り心地だな、この椅子は」
 悠然とそんなことをのたまう加賀見目掛けて、ヒルトが警告も躊躇もなしに発砲する。
 そんなものは当然見越していたとでも言いたげな動きで、加賀見はいつの間にか席の傍らに立ち上がっていた。初動が見えなかった。完全に虚を突かれたと言ってもいい。
「……ちっ」
 加賀見がその気なら、いまの動きで自分たちに少なくとも何発かの弾丸を叩き込めただろう。それがわかるからこそ、ヒルトの舌打ちにも勢いがない。
「無粋だな。銃口以外の口はないのか、貴様には?」
 名残惜しそうに椅子を眺める。完全機械化兵二人を前にして見せる、この余裕。マスマーダーとさえ呼ばれた自分を前にして、いささかの萎縮も見せない自信。
 人間にも、時たまこういう奴がいる。どこに根拠があるのは、あるいはどこにも根拠がないからこそなのか、ただ世界を眺める傍観者であるように、あらゆる出来事にいちいち注釈をつける輩が。
「あんたは前から撃ってみたかったのよ。てかなにやってんのって聞いてんじゃないの」
 不貞腐れたヒルトが唇を尖らせながら文句を言う。勢いがないのは、加賀見の対応が人間にしては上等で、完全機械化兵の自分たちでも対応を誤れば危ういと悟ったからだ。
「今日の私は伝言板だ。大佐から君に言付けを預かっている」
 メッセンジャー。これだけの実力者を、そんなことのために使う大佐の神経は、やはり理解しがたい。
 いや、あの人のことを理解できたことなど、一度もなかったか。
 加賀見はヒルトを無視して真っ直ぐこちらを見た。珍しく、その表情には皮肉げな笑みは浮かんでいなかった。
「『犬の責任が飼い主の責任なら、飼い主は犬を愛しているかいないかで対応を決めるしかないだろう』とのことだ」
 瞬間、混乱する。絶縁状なのか、復縁状なのか、判断ができない。
 愛されている自信があるなら許されに来い、ということなのか、愛されている自信がないのなら殺されに来い、ということなのか。
「『しかないだろう』と来たもんだ。相変わらず偉そうなガキね」
 鼻を鳴らして、ヒルトが毒づく。
「あの人の本音は私にもわからないがね。そう簡単に身内を捨てられる人でもないだろうと勝手に思っているよ」
 それでいて、その口調は、自らを身内には含めていない言葉だった。
「……なぜ、僕がそれを決めなきゃならないんだ」
 大佐の言っていることというのはつまり、そういうことだろう。
 決着をつけたければ、お前が選べ。それから答えを聞かせてやる、と。
 自分がどう考えたところで大佐の決めた答えが変わるはずもないのに、なぜ僕はこんなにも躊躇しているのだろうか。決めても決めなくても変わらないのなら、そして決めることが出来ないのなら、結果は変わらない以上、決める理由はないというのに、どうしてもそれを決めてからでなければ、大佐に会ってはいけない気がした。
「あの人の趣味は試すことだからだよ」
 加賀見の回答は簡潔だ。
「試練を与え、試練を与えられ、切磋琢磨し、身を削り、心を削られたとしても、その先に据えた目標があるなら、なにがあろうとも到達してみせろという……あるいは、到達してみせるという、そういう覚悟の表れだろう。中々どうして、覚悟を決めるだけとはいえ、人間にはそれが難しいものでね」
 人間は覚悟を決めるだけのことが難しい、だと?
「では」
「『ではなぜ僕は悩んでいるのか?』か? いや、『なぜ僕は判断を下せないのか?』かもしれないな。インターフェースとしてとはいえ人間じみた感情や判断能力を与えられただけの機械人形が、『悩む』ことなどないだろう?」
 それは、その通りだ。自分たち完全機械化兵にあるのは、「判断を下せる」か「判断を下せない」かではない。「判断を下せるだけの情報が入力されている」か「判断を下せるだけの情報が入力されていない」かのどちらかだ。
 悩みなどというフェイズからは隔絶されている。足りているか足りていないかだけなのだから、足りているなら判断を下すし、足りていないなら判断を保留して判断材料が揃った時点で改めて判断を下すだけだ。
 「判断を下せない」などということがあっていいはずがない。
「もしいま、お前が本当に『判断を下せない』でいるのなら、大佐に代わってこう言おう。『お前はすでに人間なのだ』と」
 何かが頭の中でショートし、衝動的に体を動かした。
 瞬きもせずに全力で加賀見に詰め寄り、喉元目掛けて手刀を繰り出す。
「拒絶反応か。あの人がお前を試すのは、だからこそなのかもしれないな」
 避けるでも受けるでもなく、ただその場に立ち尽くした加賀見が言う。手刀は加賀見の喉に触れるか触れないかのところで止まっていた。いや、止められていた。
 ヒルトの手で。
「逆切れはダサいよ。あんたらしくない」
 だとしたらどうしろと言うのだ。
「……僕は大佐を殺す」
 ヒルトの手を振り解きもせずに宣言する。
「僕をこんな風にした大佐を殺す。それで終わりだ。何もかも終わりだ」
 未練などない。執着などない。同型の姉妹達がいなくなった時点で、自分がどうなるかは決まっていた。悪戯に時を過ごして、わずかばかりの知己を得て、機械の分際で人間の真似事をしてきたが、それももう限界だ。
 望みなどないのだから終わらせるしかない。兵器は兵器らしく、役立たずは役立たずらしく、目的を完遂することのできない兵器は、黙ってゴミ箱に入るしかない。
「終わらせてなんかやらないんだからね」
 ヒルトが強く手を握り締めた。それなのに、それを弱々しいと感じてしまった。
「私をこんなにしておいて、勝手に終わらせてなんてやらないんだからね。……絶対に」
 何もかも蹂躙しながら自らを破滅に叩き込む。あいつの言い草ではあるが、確かに自分はそれを望んでいる。生きているとか、生きようとしているとか、そういうことの意味がわからない。死にたくないという感情がわからない。それはただの化学反応で、生きるということによって得られるエネルギーの反作用で、誰一人それから逃れることは出来ないのだから、そんなことを考える意味がわからない。
 生きているから死ぬ。生きているなら死ぬ。生きているから死にたくない。生きているなら死にたいとは思わない。
 わからない。わかりたくもない。わかる必要がない。それが兵器だ。
「教えろ。大佐はどこにいる?」
 加賀見が答えるはずもない。加賀見が答える理由なんてない。大佐は身を隠すためにメッセンジャーを残したのだから、メッセンジャーがそれを告げる意味はない。
「今頃はそうだな、瑞穂基地についているだろうさ」
 加賀見はあっさりと答えた。それこそが切り札だったんだと言いたげな笑みを浮かべて。