セッションについて(1)

長くなりそうなので適当なところまで*1書いていきます。大げさなタイトルなのは、思いついたことを適当に書き散らかすために曖昧にしておきたかったからです。


で、まずはプレイスタイルの話。
世の中にどのようなプレイスタイルがあってもいいし、実際いろいろなスタイルがあるのだろうけど、個人に合う/合わないスタイルがあるのは当然で、これを無視して突き進もうとしても大概つまづくわけですけども、困ったことにプレイスタイルというのは個人の特性ではなく多分に恣意的なもので、その日の気分とか状況とか環境とかに大きな影響を受けてしまうので、事前に推測することが激しく難しかったりする。
一度や二度のセッションでプレイスタイルがわかるとは思えないし、これが十度や二十度でも同じことで、それはセッションを重ねることによって経験値があがってプレイスタイルが変化する*2ことが非常によくあるせい。なので、安定感のあるプレイというのは、プレイスタイルの変化の幅が小さいか*3、プレイスタイルの変化の幅が大きいのが当たり前か*4、みたいなものになってくると思われる。
試行錯誤はけっこうなことで、どんどんいろいろなやりたいことをやればいいと思うけど、必ずしも「いろいろなことをやること」がイコールで「試行錯誤」になるわけじゃなくて、「同じことをやり続けること」も「試行錯誤」になったりする。というのは、「試行錯誤するための基準」がなければ変化のつけようもないわけで、「自分の立ち位置」を策定する段階では「同じことをやり続ける」ことも非常に重要なことだろうから。もっと言うと、「自分は同じことをやっても周囲の反応は異なる」という単純明快な事実を実感するのも、「同じことをやり続ける」ことでしかわからないから。
新しいことをやることと、いままでと同じことをやることをバランスよく取り入れていくのが「試行錯誤」として効率のいいやり方なのかもしれない。とか思う。*5


セッションにおいて「出来ること/出来ないこと」を考えるのは大事なことだろうけど、メタ視点での「出来ること/出来ないこと」と、ミクロ視点での「出来ること/出来ないこと」は全然別で、メタ視点の代表的なものは「PLによる情報分析/状況把握」で、シナリオ展開に合わせてPCを誘導したり、ロールしたりすること。ミクロ視点の代表的なものは、「PCによる情報分析/状況把握」で、PCの置かれた状況、与えられた情報に合わせてPCを誘導したり、ロールをしたりすること。
PLとPCは不可分で、こんなメタだのミクロだの言っても区分に意味はないけれど、「PLにできること/やっていいこと」と、「PCにできること/やっていいこと」を意識の上では分離して把握しようとするのはいいことで、そうすることによって効率的に情報を集積して分析してロールに反映することができるようになる。けどもちろんこれは、「そういう遊び方が楽しい」人のものであって、それ以上のものではない。
プレイスタイルを語る上で一番難しいのは、「何をすれば楽しい」ということを論じることが出来ないということ。楽しさは千差万別で、絶対の正義みたいなものはない。TRPGの説明が難しいのも、おそらくこのあたりだろうと思う。「楽しみを自分で見出す」というステップを踏まない限り、TRPGは楽しいものにはならないし、自分に合ったプレイスタイルを見出すこともできない。
個人的な意見としては、メタ視点を重視するのはGM経験者が多いと思う。逆にミクロ視点を重視するのはPL経験者が多いと思う。経験者というか、「どちらをより多く経験しているか*6」という基準だけど。重視してるんじゃなくて単純に「そういう見方しか出来ない」人も多いようだけど。


で、ここからは私的なお話。
私がGMをしていて一番「面白くない」のは、「用意したシナリオに沿ってPLが行動しようとする」時。PL技術として、「用意されたシナリオ」というフレームワーク上で遊ぶのは大事なのはわかるけど、「それなら俺、小説書いてりゃいんじゃね?」という気になってしまう。「吟遊詩人をやりたいわけでもないのに吟遊詩人をやらされている」気がしてきてしまう。
「シナリオからの逸脱を認めない」のが吟遊詩人であるなら*7、これはGMだけではなく、PLの資質の問題でもあると思う。PLが「シナリオの範囲からはみ出ないように遊ぶ」ということは、「安全」かもしれないけど「波乱」も「緊張」も足りない。少なくとも私はそう思う。
大仰な言い方をするなら、GMをするのは「知恵の出し合い/ぶつかり合い」がしたいから。ストーリーテリングもしたいし好きだけど、別に予定調和を目的にしていたり、「GMが用意したハッピーエンド」なんてものに安住して欲しいからじゃない。「このGMとこのPLだからこそ出来たセッション」と思えるようなものがやりたいから。
もちろんこれは理想論で、観念の問題。毎回必ずそんな大成功と呼べるセッションができるはずがない。でも、目的地を定める上で理想を語らないわけにはいかない。理想という言葉にすると覆い隠されてしまうけど、結局は「なにが楽しいのか?」を考える上で、理想というものは外すことができない。
もちろん、言葉にするのが苦手な人もいるだろうし、「別にそこまで……」と思う人がもっと多くいることもわかっている。でもそれは、私が理想を持つことの妨げにはならない。私は私のために理想を持つのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
誰にとってもそうだろうと思っている。それがTRPGの言う「自由」だ、というのがいまの私の理想論。


追記
見直したらマクロ視点とか書いてあったけどミクロ視点のほうが正しいんじゃないだろうかと思ったので修正。まあどっちにしろ意味は通じるような書き方はしてますが。

*1:基本的に飽きるまで

*2:成長するとは言い切れないのが難しいところ

*3:経験値の母数が大きくなってて、一回や二回のセッション分の経験値が加わってもほとんど変化がないとか

*4:最初から安定しないことが前提になっているとか

*5:試行錯誤に効率求めてどうするのという気もするけど

*6:経験値を積み上げているか

*7:そう定義するなら、という話で、世間一般で言う吟遊詩人GMの定義とは外れるという前提で