(27−9)


 やはり、と思った。
「ごめんなあ、さくらちゃん。うち、どうしてもこうしなきゃならなくて」
 ぴくりとも動かないヒルトを抱きかかえて、神室が言う。
「そんなにヒルトのことが好きか?」
 努めて冷静に問い質す。状況は、自分が不利だ。ヒルトという人質を取られている以上、そう簡単には動けない。
「んー。好きとか嫌いとかじゃないんよ。うちのこと、あそこまで完璧に負かしたのって、ひるひるが初めてやってん」
 静かに静かに、神室は語る。
「うちな、そこそこ頭良くて、顔もご覧の通りキュートやったから、学校でももてたんよ。もちろん男子に。いまでももてもてやけど。でなあ。まあ、女の子社会って陰険やねん。うち、苛められてな」
 なぜ笑うのかがわからない。
 もしかしたら、笑うしかないから笑っているのかもしれない。
「そんで不登校なってん。親がまた変な親でな、学校なんか行かなくてもいーって言い出して。ただ働かざるもの食うべからずだからって、例のシミュレータのデバックとかそういうのやらされてたんよ」
 飯村、花島、神室の三人に教練を施した時の、あのシミュレータだろう。シュネルギアや戦闘機のデータがインプットされていて、模擬戦が可能な機能を持っている。
 神室はその操作に抜群の適性を見せていた。それをおもちゃだと言い切ってしまえばそれまでだが、それでも達人の域にまで練達するのに努力は欠かせない。
 自分はいまでもあまりシミュレータという奴が得意ではない。
「ちょっとな、ガキっぽい話やけど。うち、開発チームの誰にも負けたことなかったのが自慢だったんよ。『機械よりも正確だ』とか『後ろにも目がついてるみたいだ』とか、化け物ちゃうわーとか言いながら、でも嬉しかったし、それが楽しかった」
 それがうちの自慢だったんよ、と神室は寂しげに微笑む。
「学校行ってへんかったし、『うちにはもうこれしかないんやー』って思い込んでて。で、ひるひるに負けたん」
 既視感。自分はそれを知っている。自分はこれを知っている。
 【自分はこれを知っていてはいけない】
「悔しいの悔しくないのって。もう全部飛んじゃった。それで一番じゃなきゃ、うちなんていらない子で、誰にも必要とされなくて、捨てられるんじゃないかって、すんごい怖くなってん」
 私は必要ありませんか。あなたにとって私はなんですか。
 私はあなたのために存在しているのではないのですか。
 【機械は感情を持たない】
「強くなれる、って言われたんよ」
 強くあらねばならなかった。消耗品では終わりたくなかった。
 どこにでもある規格品には、なりたくなかった。
 【規格外品は不良品だ】
「体を機械化して、一杯薬を飲んで、さくらちゃんとかひるひるみたいになれば、うちの才能なら勝てるって言われたんよ」
 完全機械化兵は生体脳を使っている。その脳がどのようにして採取されようとも、出所は問題にはならない。
 通常はクローンの脳を使う。生身の人間から摘出した脳を使っても動きはするだろう。
 【人間と機械は違う】
「代わりに、軍に遺伝子を提供した。うちは二年もしたら死んでまう。未来も、その先の未来も全部捨てた。うちはどうしても、ひるひるに勝ちたかった」
 人は若さゆえと評するのだろう。ただ生きているということが生きるということではないと言うものもいるだろう。
 神室は出会ったのだ。そして選んだ。自分の命の意味を。
 【人間はそれを選択する権利がある】
「やはり、クローンではないんだな?」
 それは気づいていた。いまの技術では、記憶の移植までは出来ないはずだから。秘密裏に開発された新技術だと言われれば、なるほどそうかもしれないとは思うが、それで納得できるようなものでもない。
「うちはうち。神室日向。寝ても覚めてもひるひるのことしか考えられない、ひきこもりで頭のおかしい人間」
 幸せそうに、本当に幸せそうに、ヒルトを抱き締める。
 そんな姿を見せられたせいで、一瞬、躊躇してしまった。自分なんかよりも、神室はきっと、ヒルトを大事にするだろう。それはきっと、ヒルトにとっていい事に違いない。
 躊躇いはすぐに消えた。
「うちはひるひるを連れて、正規軍に戻る。反乱軍をスパイする代わりに、うちはひるひるを手に入れる取引をしたん」
 フライングユニットの格納庫。瑞穂基地に向かうための準備中。神室が喧嘩を売って、ヒルトが喧嘩を買った。神室は正々堂々と対決し、見事にヒルトに打ち勝った。
 自分はずっとそれを見ていた。ただ見ていた。
「いいんよ。うちはもう、満足だから」
 神室は微笑んだ。微笑んだんだろうと思う。
 その顔面は特殊徹甲弾で打ち砕かれた。硝煙を上げる銃口が、わずかに揺れた。
 神室は銃を握りすらしなかった。ただヒルトを抱き締め、首から上を吹き飛ばされても、それでもヒルトを抱き締めていた。
 拳銃をホルスターに納めて、ヒルトの元に向かう。神室の手から優しくヒルトを抱き上げた。
 ヒルトは怒るに違いない。神室を殺した自分を、きっと許さないに違いない。
 それでも、たとえそうなったとしても、許せないという気持ちが勝った。
「こいつを自由にしていいのは僕だけだ。他の何者にも許さない」
 嫉妬。醜い嫉妬。神室を相手にヒルトが本気を出せなかったのも許せなければ、ヒルトを手に入れた神室の幸せそうな笑顔も許せなかった。
 だから、自分が許されなくてもいい。