(29−1)


 そうすることはずっと前から決められていた。
 ミカドのクローンとして生み出されたその理由は、実際問題、よくわからない。なにもわざわざミカドでなくても、他の殿上人でも天使の血の濃いものはいただろうに、なににこだわったのか、なににとち狂ったのか、それはそういうものとして進行していた。
 一番のごり押しをしたのは神殿庁だ、という噂も聞いた。ミカド本人もそれを望んでいた、とも。大方、自分のバックアップを作っておこうとか、そういう低俗な……いわゆる永遠の命を求めるような低俗な目的だっただろうと勝手に思っている。
 真実なんてどうでもいい。どんな真実があったとしても、自分が生み出された事実は変わらない。
 ともあれ、完全機械化兵の開発が始まったのと同じ時期に、僕は生み出された。完全機械化兵の開発とは、即ちクローン技術の確立と同義だ。優秀な遺伝子(基準は曖昧だ)を複製して優秀な軍隊を作ろうという、至極わかりやすい構造を持ったこの兵器は、実際問題、行き詰まりを迎えていた機械化兵技術に代わるものとして注目を浴びていた。
 機械化兵技術の問題とは、とどのつまり、天使核への適応率の問題や、出力の問題、天使化の問題、コストパフォーマンスの問題……それが圧倒的な兵器であった時代には問題にならなかった種々の事情が、天使兵の出現によって優位性が覆され、兵器の一つとしてようやく客観的に評価されるようになったお陰で吹き出したものでしかない。
 自明といえば自明だ。天使兵の出現によって敗退を繰り返す過程において、資源の問題がより顕著になったため、それは有効なだけでは許されない兵器になってしまった。
 天使兵に対抗できるのは機械化兵だけ。それもまた事実であったために、問題は加速度的に深刻さを増しながら、それを先送りにし続けるしかなかった。
 結果として、敗戦し、鎖国になったお陰で、完全機械化兵を開発する余力が出た。機械化兵は、それを兵器として、軍隊として規格化し、成立させるための間繋ぎとして運用されるようになった。
 敗戦が決まり、ヤシマに亡命することが決まった時点で、統一帝国上層部は考えただろう……機械化兵は必要だ。だがすべては必要ではない、と。あまりにもコストのかかる兵器を抱えて引きこもったところでジリ貧なのは目に見えている。必要最低限に抑えなければ、部隊としての存続も危ぶまれる、と。
 それが統一帝国最大の撤退戦における大規模な絶滅に繋がった、というのはただの推測でしかないが、それなりに確信を持っている。亡命という一大事業が完了し、内政を落ち着かせてからまた作ればいいと、そう考えたに違いない。
 上層部というのは、どんな組織であれそんなものだ。構成員を数字で把握するし、数字でしか認識しない。そしてそれが間違っているとも思わない。構成員にも人生があるとする問題は、数の計算とは別の次元の問題なのだから。
 そうして練磨され選別された機械化兵からのフィードバック(主に生体部品について)を受けて、完全機械化兵プロジェクトは開始された。
 完全機械化兵プロジェクトのもっとも重要な技術ファクターは、当然ながら、クローン技術である。当初、技術レベルの問題から、体細胞クローン……受精卵を用いた細胞核移植によるしかなしえなかったために、自分もそのような方法で生み出された。
 一方で、統一帝国は細胞培養によるクローン技術の一部を実現化していた。もちろん、それがなければ完全機械化兵プロジェクトは実現しなかっただろう。機械化兵による生体と機械の融合技術と、細胞培養による脳のクローン技術が融合することによって、完全機械化兵技術は統一帝国の手で確立された。
 面白くないのはヤシマだ。ヤシマは現在ですら完全機械化兵技術を借用する形でしか開発が行えていない状況にある。遺伝子というものが発見された時点でクローン技術の開発を始めていた統一帝国とでは、恐ろしいほどに技術的な格差があった。それは現在でもさほど是正されてはおらず、結果的に、培養基となる細胞の提供(言い換えれば、選別された遺伝子の提供)を条件に、脳のクローニングを統一帝国が行い、それをヤシマに引き渡す……という回りくどく一方的な関係が作り上げられている。
 選別にはコストがかかる。完全機械化兵の動力は天使核だ。天使核との同調率の高い個体を選別し、収集する(もっとも、実物が必要なわけでもないが)には、それなりのコストがかかる。それら選別のコストをヤシマが負担し、統一帝国はその上澄みだけを手に入れることができる……こんな不均衡を、いくらやむをえないことだとはいえ、ヤシマ上層部が諾々と飲み込んだはずがない。
 結果、ヤシマでもクローン技術は開発された。それが前述した体細胞クローンだ。
 もっとも、動物実験の過程で、体細胞クローンは寿命が短いという報告がなされていた。これは細胞培養クローンも同じことだ。細胞の増殖を制御するテロメアの関係で、生体細胞……つまり細胞として分化が済んで日々生まれ変わっている体細胞は、採取された時点でテロメアが短くなっているからだ、と言われているが、そうであるなら、例えば人の寿命を八十年とした場合、二十歳の人間の体細胞クローンは、六十年は大丈夫のように思われるが、実際にはその半分以下しか生きられないというから、真相はもっと別のところにあるんだろう。
 どちらにせよ、寿命が短いだろうことは、プロジェクト開始時点から想定されていた。それは技術的な克服課題として残され、それはそれとして、クローン作成は進められた。
 体細胞クローンである自分には、そういうわけで母親がいた。血縁関係はないが、代理母として子宮を提供した母親がいたわけだ。母親は一日置きに自分の元を訪れ、他愛無い家族の触れ合いとやらをして過ごしていた。
 母親がどのような人間だったかは、よく知らない。あまり興味もなかった。乳幼児期も、実際に自分を育てたのは乳母に相当する役割の人間で、母親に直接抱かれたこともあまりない。義務的に付き合っているとしか思えなかった。そんな人間に興味を持つ暇は、実験体である自分にはあまりなかった。
 幼少期から様々な知識、技術を叩き込まれた。なんというか、自分は知能レベル的には上等な部類だったらしい。言葉を喋るようになってすぐに高等数学を理解し、立ち上がれるようになってすぐに走り出した……とかいう伝説もあるが、それはさすがに嘘である。しかし、それに近い好成績を出していたことは間違いない。
 そんな生活が十年ほど続いた。十歳の誕生日に、初めて施設から連れ出された。それまではずっと、研究所というか飼育施設というか、おそらくは実験施設として完全に隔離された建物の中しか歩き回ったことがなかったから、その経験には激しく興奮したことを覚えている。
 目隠しをされて連れ出されて、また別の建物に入れられて、椅子に座らされた。合図と共に目隠しを外した時、目の前には見知らぬ少年がいた。
 手元にはナイフ。状況は理解したが、意味がわからなかった。
 スピーカーから流れてきた研究員の声は、自分と目の前の少年は殺し合いをしなければならないと告げた。この状況にあるものはなにを使ってもいい。ただし、この部屋を出ることが出来るのはどちらか一人、あるいはどちらも出ることができないだろう、と。
 心臓がドキドキした。自分と同世代の人間を見るのは、その時が始めてだった。それなのに、その少年を殺さなければ自分はここを出て行くことができない。周囲を見回すと、野球場の内野程度の広さの四角い部屋で、出入り口らしい扉が二個、自分の背後と少年の背後にあり、ぴったりと閉ざされているのがわかった。
 出て行けなければどうなるんだろう、と思った。殺し合うという言葉にも実感がなかった。なにをどうすればいいかわからなくて、とりあえずその少年に声をかけた。
 なにを話したのかは、よく覚えていない。生まれて初めて目を開いたときのことは覚えているのに、その少年と交わした言葉は霞の彼方に隠されている。
 自分は、なにはともあれ、殺し合う必要なんてないと話した。ように思う。きっとなにかの間違いだから、出してもらえるまで待とうと言った。なんともまあ、甘い話である。
 少年はそれには答えずにナイフを手に取った。その目にあったのは殺意である。初めて見た同世代の少年から、最初に向けられたものが殺意で、頭が混乱した。なぜ殺意なんて向けられなければならないのか、なぜ自分たちが殺しあわなければならないのか、まるで理解できなかった。
 言葉もなく、少年は襲い掛かってきた。
 なにをどうしたか、これもあまり覚えていない。咄嗟にナイフを手に取り、身を守ろうとしたことは覚えている。互いが座っていた椅子まで武器として攻撃されたことを覚えている。
 それでいて、気がつけば喉を切り裂かれた少年の死体が目の前に転がっていた。その足には破壊された椅子の脚が突き立てられていた。一方の自分はほぼ無傷で、傷と言えば破壊された椅子を利用した時に刺さったのだろう、鋭く尖った木の破片で手の平を浅く怪我していた程度だった。
 無我夢中だった。初めての殺人だった。
 スピーカーから聞こえてくる研究員の言葉も気にならなかった。というよりは、なにか喜んでいるのはわかったが、なにを喋っているのかはよくわからなかった。
 部屋の扉は開け放たれ、転びそうな勢いで入ってきたのは、母親だった。
 母親は泣いていた。この人の人並に泣くのか、自分のことを心配するのか、と思って、なんだか気恥ずかしい気持ちになったことを覚えている。その気持ちはやけに鮮明で、それはおそらく、その後の出来事のせいで、一層鮮明に記憶に焼きついているんだろう。
 母親は、絶命した少年を抱き上げて、泣き叫びながら自分を責めた。なぜ殺したのかと、私の子供をどうして殺したのと、そう言って。
 そもそも、自分が責められるのは筋が違う。自分がナイフを手に取ったのは正当防衛にすぎない。襲い掛かってきたのはその少年で、自分を殺そうとしてのもその少年で、母親は自分の母親で、それなのになぜ自分が責められるのか、まるで理解できなかった。
 この子はあなたの弟だったのになぜ殺したの、と、そう言われた。
 そうだったのか、と思った。そして、この母親は、いや、母親という立場の人間は、自分ではなくその少年、弟とやらを愛していて、自分なんて死んでもいいと……そう思っていたということか、と思った。
 哀れに泣き叫ぶ母親に近づいて、その喉を掻っ捌いた。母親は一瞬だけ自分の目を見つめ、なにが起こったか理解できないといった表情のまま、絶命した。
 降りかかる返り血を浴びながら、自分は笑っていた。笑っていたように思う。
 そうして自分は、殺人者として産声を上げた。