セッションについて(6)

先週はお休みだったので今週は2本続けて。とかやってるからネタ切れするんですが。
今回は「シナリオについて」です。


最近、シナリオを書いています。
いままで、「セッションをする」=「身内でプレイする」だったので、外部にシナリオを公開する必要がない限りは*1、基本的に今回予告やハンドアウト以外のアウトプットはありませんでした。*2
それでプレイ上の問題はありません。アウトプットをしていようが脳内で整理していようが、「セッション内で必要な情報の提示」が出来れば、セッションは回るからです。NPCデータや敵データすら、なくたって動きます。判定値なんてその場の気分で決めたって問題ありません。
それでも、最近はシナリオを書き出ししています。ふと、思ったからです。
「他人が使用するという前提でシナリオを書き出すという行為は、情報を整理、集約する技術を培う上で非常に重要なのではないか?」と。
長いシナリオ/情報量の多いシナリオがいいシナリオであるか、というと、そんなことはありません。逆に、短いシナリオ/情報量の少ないシナリオがいいシナリオであるか、というと、やはりそんなこともありません。
いいシナリオ、というのは、必ず使用者が評価するものです。シナリオ単体だけがあって、それを見ていい/悪いを論じるのはおかしな話です。*3
そしてシナリオの使いやすさというのは、「自分にとってこうあって欲しいシナリオ」という意味でしかありません。その前提でいくと、自分がいいと思うシナリオを書いてみれば、「自分はシナリオにおいてなにを重視しているのか」がわかります。
「自分の特性の再認識」の手法として、いま、シナリオの書き出しをしています。


そうして書き出されたシナリオにどういう反応があるか、というようなことにも興味があります。自分がいいと思っているものは、周囲にはどのように見えるのか、ということです。
webで公開してもそうした反応は期待できません。webというのは基本的にROM、読み手が読み手のままでいられる媒体です。そこからのフィードバックを期待することほど虚しいものはないと、何年かのwebサイト運営で学んでいます。
そうなると、フィードバックすることのインセンティブを考える必要があります。どうすれば感想を出す気になるのか。「提供者」と「受給者」という関係ではなく、「提案者」と「提案者」の関係を作るにはどうすればいいのか。
ということまで考えていたわけではありませんが、『夏の夜の夢』では、メールで閲覧希望者を募ってみました。
こうすると、まず閲覧するための初期コスト(メールを出す)がかかります。一度コストをかけ始めると、破綻しない限りはコストをかけ続けようという意識が働きます。初期コストを無駄にしないためにです。もちろん、それによってメリットを得られる「だろう」、と初期コストを投資した時点で確認できた場合です。
裏を返せば、一読して価値のあるシナリオであれば、その後のコストの支払い(基本的にはメールを出すというコスト)に対して、モチベーションが生まれます。それは結果的にフィードバックにつながるのではないか、という推測です。心理学的には根拠のある論法ではあります。(たぶん)
なんにしろ、最初のコストについては度外視しないといけないのが難点ですが。


シナリオは、GMの視点で見る必要のあるものです。「いつ、どこで、誰が、なにをするのか」が書かれていれば、GMの負担は少なくてすみます。
しかし、「なぜ、そうするのか」という背景についての説明がない場合、それを補填しなければ、GMはロールをすることができません。ロールはアドリブと置き換えてもいいです。背景のない舞台の上で演じ、演技によって背景を想像させる……なんてのは高等技術もいいところだと思います。逆に難しいです。
エンゼルギアの公式シナリオは、この辺を曖昧にしたまま記述されていますが、「そもそもなぜ、そうなったのか」すらも曖昧なので、実に使いづらいと私はよく感じます。
別に情報に矛盾があるのは問題ありません。矛盾だとわかっているんですから矛盾をなくせばいいんです。
情報が曖昧なのも問題ありません。曖昧だとわかっているんですから、曖昧な部分を塗りつぶしていけばいいだけです。
しかし、矛盾があり、かつ曖昧だったりすると、フルスクラッチしたほうが早いよな、という気分になるのもまた事実です。実際、よくそうしてます。
気が付けば別物のシナリオが出来上がったりしますが、その踏み台にはなったことを考えると、ますますいいシナリオというものの基準がわからなくなってきます。

*1:同人誌用以外では

*2:重要要素はメモってたりしましたけども

*3:いい/悪いを論じることが出来る、長所/短所を把握することが出来るのであれば、それは「いいシナリオ」なんじゃないかとも思いましたけども