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「ヴリルというのはね。人の意志の巨大な複合体なのだよ」
 ヴリルの創始者と目されている男は、そう答えて薄く笑った。
「ある者は、科学技術を躍進させる組織だと思っている。ある者は、天使を崇拝する宗教じみた組織だと思っている。またある者は、経済活動によって世界を支配する影の政府のような組織だと思っている。そのどれもが正解であり、どれもが不正解だ。なぜならヴリルはそれらすべての側面を持っているのだから」
 そしてそれらはヴリルという組織の本質ではない、と続ける。
「人の欲望が仮託された存在。それこそがヴリルの本質だ。人が望むすべてを反映し、それらを実現しようとする組織。個々の価値観は斟酌せず、"それが人の欲望であるのなら"実現のために動作する装置。すべては独立したレイヤで動作しながら、根本では"ヴリルと呼ばれているモノ"に繋がり、実行されている」
 それはまやかしなのだ、と男は断じた。
「ヴリルなどという組織はない。組織のような体裁を取っているが、それはあまりにも巨大に、複雑になりすぎた。数多の人間の数多の価値観を取り込んだ結果、それは"ヴリルと総称されるだけのモノ"に成り果ててしまった。言ってみれば、あらゆる人間のあらゆる行動の根源にある"欲"を拡大解釈するための装置だ。それに"正義"や"大義名分"を与え、"適切に動作するよう調整するためだけの機構"だ」
 ヴリルの名の下に行われることは、故にすべてが人の本質でしかない、と男は憂いた。
「君たちの言う"非人道的実験"や"人間の家畜化"などという現象は、その端的な表れにすぎない。ヴリルという組織がそれを望んだのではない。人の欲望がそれを望み、ヴリルはそれを実現する場を与えただけだ」
 人の意志や尊厳と呼ばれるものが、ほんの少しだけ強く動作すれば、こんなことにはならなかっただろうに、と男は溜め息を吐いた。
「人は衝動のままに行動する。それは生物としての本能だ。武器を与えられれば争い、行使された武力は報復を産み、泥沼の戦争に発展する。"銃を与えられなければ撃つことはない"という真理は、銃の本質ではなく人の本質を説くものだ。"武器を与えられようとも行使することのない意志"を人が持ちえたなら、"武器の功罪"などというものが問われることはなかっただろう」
 それが人という種の限界なのではないか、と男は愉快そうに笑った。
「壊れた本能、などという言葉を耳にすることもあるが、片腹痛しとはこのことではないかね。本能が正しく本能として機能しているからこその本質ではないか。"人は本質において争いを望む生き物"だ。それが競争を、発展を、技術の進化を生み出した」
 そしてそれがいま、この星を滅ぼそうとしている、と男は皮肉に笑った。
「人の進化の終着点がそれであるなら、ヴリルはそれを実現するだろう。この地上からすべての人間を葬り、神による統治の実現を望むのなら、天使兵という小道具も使うだろう。"黙示録の後の世界を望む者"がいる限り、"世界は何も変わらない"のだよ」
 そして私はただそれを観察するのみと締め括って、男は大きくお辞儀した。