大きな発見、小さな発見

そんなわけで、TRPGにおいて、私が書き綴っているのは、私の価値観、つまり私の経験を醸成していく場での経験論であり、それをある程度整理したものにすぎません。一般論ですらありません。ついでにいえば、考えの全部を書いているわけでもありません。
オープンな場に書く以上、不特定多数の読者を想定しますが、そんなものは想定しないほうが「書くこと」だけを考えれば、なんぼも書きやすいわけです。不特定多数を想定しない文章は、基本的にmixiを使ってますけども。
私の発見したある種の法則性が、いつでも、どこでも使えるかといえばそんなことはなく。
誰かの発見した法則性が、私の法則性と必ずしも一致することがあるはずもなく。
よそのエントリに対してコメントをつける場合、私は私の法則性に基づいて判断し、コメントをするわけで、その時点で対象のエントリの内容とは(共通点を持ちながらも)方向性としては無関係になりますから、基本的にはコメント欄ではなく、ここでエントリという形で発言するようにしています。
TRPGというのは、そうしたコミュニケーションを前提においたゲームで、これはプレイヤー*1が一人ではないからこそ起こりうることであり、逆にコミュニケーションを望まないのであれば、コンシューマ機で遊ぶなり小説を書くなり漫画を描くなり、他人を必要としない手法で解消すればいいと思います。
だのに、他人からのコミュニケーションを望まないのに、他人へのコミュニケーションを望むよくわからない行動原理を示す人がいるのも事実です。そうした人は無自覚的にそうした行動をとっているだけであって、他意はないのだと思いますから、気がつけば指摘するべきだし、他人の指摘によって自覚的になるということは大切なことだと思います。
そうした指摘者を誰もが有しているわけではないかもしれませんが、ネット上の言説に価値があるのだとすれば、「他人の経験を理解することによって自らの経験とする」ことが可能であり、その裾野が広いことだと思います。
「いろいろな意見を見て、それが自分にとって発見になるように考える」というのが、理想的な意味での読者像かなあ、と勝手に思ってます。

*1:遊び手、という意味でのプレイヤー