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 実験施設から実験体が脱走した、と言われても、大きな感慨が湧いたわけではなかった。ありふれているとまでは言わないが、そうしたこともあるだろうと思う程度には聞く話である。そんなものは大抵、自分のところまでは問題を引きずってくることはない。
 ところが今回は、たまたまそうではなかった。実験体は、どうやらこの基地を目指しているらしい。
 ここになにがあるのか、という問題は、むしろここにないものはなにか、と考えるのと似ている。つまり、心当たりは山ほどあって、どれが本命なのか見当もつかないというのが実感だった。
 だとすれば、だとしても、実験体が施設を脱走してまでここに向かう明確な理由があるわけでもない。情報に大きな制約を受ける実験体が、一体何を察知したというのか。
 いや、そもそもが何を目的としているのか、ということになるわけだが、実験施設の担当者は、なんともはっきりしない報告書だけを提出してきている。実験の内容すら曖昧で、被験体と完全機械化兵が一体、この基地に向かっている、とそれだけは明確に伝えてきただけだ。
 被験体は、あらゆる電子機器に干渉し、操作する能力があるという。そのせいで完全機械化兵が同行している、とは考えにくいが、それだけの能力があるということであれば、これは全力を上げて警戒する理由になる。
 なんにせよ、緊急の連絡などというものがろくなものだった試しはない。久しぶりに自室で眠ることが出来るかと思ったが、まだ基地に戻らなければならないようだ。
 FAXされてきた報告書に物憂げに手を伸ばし、添付されていた写真に視線を落とす。
 そこに写っていた姿に懐かしくも忌まわしい記憶を喚起され、早急に対応する必要があることを再認しながら、ヴィヴリオは制服に着替えるためにベッドから抜け出した。