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 夕食は基本的に一人で食べることが多い。基地の食堂で食べないとなれば宿舎の自分の部屋で食べるしかなく、そんな時間に真智を誘うといろいろと間違いを起こしてしまいそうなので、あえて誘わないようにしていた。
 実際、真智から誘われたこともない。動機が同じかどうかは、よくわからない。それでも自分が理性を保てる以上、それに文句を言うつもりはなかった。
「まったくヴァンは酷いよね」
 だというのに、今日に限ってぷりぷり怒ってる真智が台所に立っている。エプロン持参でだ。その後姿を見ないようにしながら、ついつい視線が吸い寄せられてしまうあたり、自分の自制心は大したものだと思ったし、いままで夕食に呼ばなくて本当に良かったと思ったりした。
「最近、ていうか昔から、てことは相変わらず? あたしに秘密にしてなんでもかんでも決めちゃって。大体神威に出張ってなんだったの? しかも羽村さんと一緒とか。なんでヴァンがあの人と仲良しなの?」
「仲良しっつーわけでもないんだが……」
 よく言って対等だし、悪く言えば利用し合う関係だ。義理はあるが情理はない。打算はあるが思いやりはない。互いに関係を保つことがメリットとなる関係というだけであって、それほど微笑ましい関係だったことは一度もない。
 そもそも羽村は、自分が過去に施されたらしい実験がなんだったのかについて興味があって接触してきたにすぎない。あの男はまっとうな情報将校だし、あれで腕のいいスパイなのだ。
「神威はな、なんつーかあれだな、修行? みたいな。ってもわかんねーか」
「ぜんっぜんわかんない。今日はあたしが納得するまできちんと説明してもらいますからね」
 強気な真智も可愛いなあ、と緊迫感のないことを思う。どうしてこんなに素直なんだろうと思うほど、感情表現からなにからすべてがストレートだ。
 それでいて自分は、何もかも覆い隠して、真智に伝えるべきことも伝えないで、自分の殻に引きこもってなにかを解決したような気になろうとしている。言わずに済むなら何一つ言う気はないし、そうである以上、何も言わなくても何も気にならない。真智はそれが気に入らないようではあるが。
「精神修養、みたいな。俺は未熟者だかんな。もっと強くならなきゃならんと、とまあ一念発起したわけだ」
 そして、羽村の紹介で、神威の山ん中に引きこもってる仙人みたいなおっさんのところで、家事手伝いをしてきたわけだ。……なんかいま思い返すと、本当に家事手伝いしかしてないが。畑の面倒を見て炊事洗濯をして水汲みをして。ただそれぞれのスケールが途方もないというか作業量が半端なかっただけで、鍛えられたのは精神というよりは肉体だったような気もする。
 それでも、たった一週間ではあったが、日々なにも考えられなくなるぐらいへとへとになって、しまいには真智のことすら頭から抜け去って、ただ一日を生きるという行為に専念できたのは、意味があったように思う。自分なんてちっぽけで、一人でなにもかも全部やることはできなくて、陰に日向におっさんの協力があってはじめて一週間という時間を過ごすことが出来たんだという実感は、この基地の生活では得られないものだった。
 戻ってきた翌日にあんな夢を見て、思わずへこんだが。
「とにかく」
 真智さんは気合いを入れて、下準備を終えた鍋を卓上コンロに移した。手際の良さもなかなかのものである。出会ってすぐの頃は割りと危なっかしかったものだが、いまではその頃を思い出すほうが難しい熟達振りだ。
 毎朝の弁当作成もそれに貢献しているのかもしれない。出身の都合上、自分も家事は苦手ではないのだが、昼食の弁当については、真智は一度として譲ってくれたことはない。
 意地っ張りといえばそれまでかもしれないが、そんな誇り高さに憧れてやまない。
「秘密はやめて。……隠し事はしないで」
 卓上コンロに点火して、真智はそのまま何も言わずにいた。
 きっと、アリカのことを思い出しているんだろう。アリカは、自分の体調について何一つ真智に知らせずに、ついには天使化して、真智自身の手で葬られた。
 それはいまでも真智の心の傷になっている。そんな方法で真智の心に残り続けているアリカは、正直好きになれない。
「すまん。ごめん。謝る」
 平謝りに頭を下げる。真智の悲しそうな顔を見ていられなくなって。
「……謝って欲しいわけじゃないよ。……ごめん、あたし、ちょっと言い過ぎた」
 胸に手を添えて、すっと深呼吸をする。こういう感情の切り替えの早さとか、状況認識の的確さとか、いつもかなわないと思う。自分はいつでもいつまでもぐちぐちと考え続けてしまうから。
「あたしは、ヴァンに全部話してるつもりだから。ヴァンも話して欲しいなって。そう思うの」
「ああ」
「でも、ヴァンはいつも大事なことはあたしに言わないで、大丈夫だよって言ってくれるの。……あたし、そんなに頼りないかな……?」
「いや」
 と、否定しかけて、実際、それは否定する以外しようのないことだったが、じゃあなんなのかと突っ込まれたら答えが出せなくて、思わず言葉に詰まってしまった。
 頼るとか、そういう意味で言うなら自分は真智を頼っているし、頼りきっている。でもそれは、真智になんでもかんでも話すとか、そういうことじゃなくて、いつでも真智のために行動するという、行動原理としてのことだから。
 それは、頼っているのではなくて、依存しているんだろうと、そう思ってしまった。
「俺は、俺なりに話してるつもりなんだ。でも、真智の目から見たらそうじゃないのかもしれない。そういうことはあると思う。俺は、真智に言うべきことは全部言ってるし、真智に言ってないことは、全部些細なことでしかないと思ってるよ」
 言うべきではないことは言いたくもない、という本音を隠しながらも偽らずに、そう心情を吐露する。それで真智が悲しい思いをするのなら、まったく全然これっぽっちっも隠しごとをしようなんて気はない。
 結果的にそうなってしまっているのかもしれないが、だとしても、それは自分の本意ではない。それだけは確約できる。
「話してくれないことは、あたしにとって必要がないこと、っていうこと?」
「ああ」
「……でもあたしは、ヴァンのことなら全部知りたいんだけどな」
 理性が蒸発しかけた。自分のいま置かれている立場とか、真智にとっての深刻さとか、そういうものを全部無視して、真智に触れたいと思った、体を合わせたいと思った。
 表面上は困ったような笑みを浮かべる。
「出張とか、そういう……しばらく離れなきゃいけないとか、いつもの訓練とは違うことがあったりとか、そういうことがあったらこれからは言うようにする。それじゃダメか?」
「……あんまり、信用できないけど、それで許してあげる」
 まったくもって、信用のない。もちろん、それだけの懐疑を植えつけたのは自分なのだから、文句を言う筋ではないのだが。
 とりあえずその約束で真智は機嫌を直してくれたらしく、晩飯は和やかに過ぎていった。