責任と権限の分離性

現実世界、というか仕事の上ではわりと分離しがちであり、仮想世界、というかTRPGの上では案外一致しているのが、責任と権限の関係なんじゃないかと思います。
セッションをしていてよく感じること、でもあるんですが、「PLからの能動的なアクション」は、即ち「アクションの結果に対する責任」に結びつくので、PLの萎縮を招くんじゃないか、と思うんですが、私の考えとしては、ここのところがたぶんそういう萎縮するタイプのプレイヤーとは全然違っていて、「セッションでなんか失敗したとしても他の参加者に対して『ごめん』って言えりゃいんじゃねえの?」と思っています。
なので、PLの能動的なアクションを要求するし、自分でも実践するし、うまくいかなかったらセッション後にでも「ごめんなさいorz」と言っています。
なぜ、「ごめん」の一言で済むのか、と言えば、それは「セッションで発生する権限は、『ごめん』の一言で済む程度のものである」と考えるからです。
どんなに暴走したところで、迷惑がかかる範囲は参加者に対してであり、リスクは時間ぐらいのものです。それにしたって丸一日が潰れるわけじゃない。コンベンションはわかりませんが、サークル活動の場において、それぐらいのリスクは「ごめん」の一言で済ませられるんじゃないでしょうか。


もっと悪辣な言い方をすれば、「PLがどれだけのことをやったところで、せいぜいがシナリオが崩壊するだけだし、シナリオを崩壊させられるだけのことをやるのは、それはそれで大変なんだから、やれるもんならやってみなさい」という開き直りでもあります。自分のマスタリング技術について自惚れているつもりはありませんが、プレイング技術だって、そんなに卓越しているわけでもないんだから、そう簡単には破綻しないんじゃないの、ということです。
もっとも、どちらかの技術が圧倒的に劣っている状況のほうが、破綻しやすいような気もしますが。


ともあれ、積極的にセッションに参加することに、恐れる要素などなにもないのです。後は好みの問題で、がんがんやりたい人、がんがんやれると思ってる人は、がんがんやればいいと思います。
なんか途中から自分に対する免罪符な気がしてきましたが。