TRPGと社会との関係性

TRPGとは、という切り口で、その社会性、というかぶっちゃけゲーム外の要素との結びつきを論じているのはよく見かける気がするんですが(と言いつつ、積極的にTRPG系の論考とかコラムとか追ってるわけでもありませんが)、TRPGをプレイするスタイルとして、TRPGとその外部性を論じているのはあんまり見たことない気がするなあ、と思いました。
と、締め括って終わっちゃってもいいんですが、それだと面白くないので、「TRPGに外部性を持ち込むスタイルの人」と「TRPGに外部性を持ち込まないスタイルの人」の差異について考えたことをちらほらと。


TRPGに外部性を持ち込む、という表現はわかりづらいと思いますが、要約しちゃえば「ゲームとしてゲームを遊ぶ」のか、「生活の一環としてゲームを遊ぶ」のか、という違いです。
前者は、後者に比して視野が狭くなりがちです。個々人の「ゲーム観」に基づいて、その範囲内で「TRPG(ゲーム)」を処理しようとするからです。
後者は、前者に比して視野が広いといえますが、同時に拡散的でもあります。ただし柔軟性は非常に高いです。前者の場合、何事かを思いついたとしても「ゲームなんだからそこまでしなくても」とか、「ゲーム的じゃないからそういうのはなしだな」とか、ゲームという枠で判断をし、思いつきの採用の可否を決める傾向がありますが、後者の場合はそのような区別はありません。「面白そうなこと思いついた。やろう」という、安直で脊髄的で簡潔なアプローチ、及びスタンスになります。


どっちがいいとか、どっちが悪いということではなく、ただ、プレイスタイルとして、自分のスタンスと、一緒にTRPGを遊ぶ人のスタンスを把握しておいたほうが、空気を読みやすいというか、「やっていいこと/悪いこと」のボーダーラインが把握しやすくなるんじゃないか、と思います。
ちなみに私は、「TRPGでしなくてもいいこともTRPGでする」タイプですし、「TRPGというものを非常に広く考えているので(着想において)一切の制約を持ち込む気がない」タイプです。
ゲームなんで、ルールは大事ですが、ルールの範囲を、ゲーム内ルールとして認知するか、生活環境を含めた広範なルールとして認知するかで、スタンスも変わり、楽しみも変わり、応用技術も変わってくるんじゃないかな、と思いました。