雑記:私はいま、ここにいる

TRPGというのは、ただただその自己主張のためだけにゲームとして成立しているのではないか、とふと思ったりした。
誰もが持つ自己充足願望の一端として、まず自己証明を行うことが必要で、それはコミュニティに根ざした"社会的な状況"においてこそ証明されるものである。
そうした場合、TRPGというコミュニケーションゲームの意図は、常にコミュニティにおける"相互認証"によって、自己証明、及び自己肯定を可能にするんじゃないだろうか。
不満が表明される時、それは自らの意図の承認が得られない場合に発生する。つまり、自己証明がなされず、自己肯定が行われなかった場合だ。
逆説的に、満足できる状況というのは、自己証明がなされ、自己肯定が行われた場合に発生する。
つまり、「私はいま、ここにいます」ということを、対象者によって肯定されることが、満足に繋がることになる。
そして同時に、「あなたはいま、ここにいます」ということを対象者に対して肯定することが、円満なコミュニティとなる。
んじゃないかなーとかなんとなく思った。