遊び手の意識

井上(仮)さんからレスな感じのトラックバックエントリをいただいたので、コメント程度にレス返しー。


井上(仮)さんのところのエントリはこちら。(2007-07-20 - GMブログ - game master


で、気になったところを引用させてもらいつつコメントを。

私はstandbyさんが引用したエントリで「TRPGを長く楽しむことを望むなら、魅力的な問題設定をすることは有用であろう」と述べています。TRPGを長く楽しむことを望むなら、という前提のもと、引用部は語られていますね。

私はその前提自体に疑義を感じています、と、いちおうコメントしたほうがいいと思うので、コメントしておきます。
別に刹那的に遊ぶのが正しいなんてことは微塵も思ってませんが(悪いと思ってるわけでもありません)、長く遊ぼうという考え方は、けっこう重荷になったりすると思ってるので、それを意識せずに実践できるのが理想形じゃないかな、という、私自身のいまのスタイルも合わせて、意見を表明しておきます。
夏休みの日記みたいなもんで。できる人はできるし、できない人はなにをどうやってもできないんじゃないかなと。
それに、前のエントリでも書きましたが、学生時代の私が、「将来お前はPSもPS2も遊ばなくなるんだぜ」とか言われても、目の前のゲームの魅力にはまってるときは「そんなわけないだろ」と答えるだろうな、と思うからです。将来はどうあれいまはそう思っているからいいじゃない、ということなら、それこそが刹那的になってしまうので、個人的にはちょっともにょもにょします。
補記
長く続けるというのは「楽しさの結果」であるのが自然だろうと思うので、やっぱ楽しさの追求でいいのかなーってのもまあ、大概刹那的ですね。

ですから、前回のエントリは、TRPGを提供する側にとどまらず、いささか限定的ではありますが、TRPGの遊び手に対する提言も含んでいます。

限定的であることには気づいていたというか、井上(仮)さんの普段の発言とかから、全般に対する提言とは捉えてなかったので、おっしゃっていることはわかるんですが、「そのエントリだけを抽出して読んだ場合」、なんだか目的設定というか、対象設定がよくわからなかったかなー? というのがあったので、「自分内整理を兼ねて」トラックバックしてました。
で、私があえて「TRPGを提供する側」云々と書いたのは、そこまで積極的にTRPGに関わろうとする意識を持っている人は、周囲の人に対する伝道とか、積極的にGMをやるとかしていると思ったからです。そういう人は、ルールを作ったりする「創作側」には含まれなくても、TRPGの楽しみを提供する「提供側」としてのスタンスになると思ったので、あえて一括りにしました。
TRPGには、純粋な意味での「遊び手*1」なるものは存在しないとも思うので、大雑把で乱暴な括りではありますが……

前回のエントリや、SNSでの馬場論朗読などを通じて、対象外の人を煽ったり、たきつけたり、不安や混乱を与えたりしたかも知れないと考え、ここで根源的な問いかけをもって、貴方の信じる道を進んでいただきたいと思います。

私がサークルをやってきた雑感でしかないので、狭い見識なのは承知の上なのですが、サークルメンバーが大体二十人弱なんですけども、そうした根源的な問いかけをする私のスタンスについてきてる共感してくれる人は、2〜3割ってところが実数です。正直、これでも多いぐらいじゃないかと思ってるんですが、TRPGをゲームとして考えた場合、「大多数の人」は、別にTRPGがどうこうという根源的な問いかけは考えていないというか、考える気もないんじゃないでしょうか。
その意識が問題だ、というご意見であるなら、私も同意はするんですが、しかし実情としては、なかなか厳しいところがあるんじゃないかと思ってます。
とはいえ、誰かがうるさ方の意見として言わなければならないという、発言の必要性についても認識しているので、あえて発言してるのかな、とも思ってます。勝手な思い込みかもしれませんけども。

*1:受給者というのがそれらしいのか。これもまた原義がずれそうだなあ。要は消費者なんですが。消費者でいいのか