ブクマコメント返し

恒例の、というほどやってはいないんですが。なんとなくid:gensouyugiさんにコメントもらうとレス返してる気がする今日この頃。
他意はありません。

はてなブックマーク - TRPG履歴 - シナリオ作成講座の話
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/standby/20070622/p2


2007年08月26日 gensouyugi TRPG, メモ シナリオ作成講座の話。まったくもってその通りで難しいんですが、今後の展開を考えるとEMを増やすためにも作りたいんですけどねえ

読み物としてのシナリオ作成講座が難しいのは、前提となる条件が多く、その記述をきちんとしていないと読み物本体が理解されないために、前提の記述に途方もない労力が必要になりつつも、読み手の側の感情として、そんな前提ばっかり延々読まされても面白くないから、というのがあると私は思ってます。
「私はこういう作り方をします」「そのための手順はこうです」というのが、「読み物としてのシナリオ作成技術」であると思うんですが、実際のところ、読み手が欲しい、読みたいと思っているのは、手順の部分でしかないんじゃないでしょうか。しかしそれではシナリオが作れるようになる、あるいはシナリオが作れるようになった、ということにはならないじゃないか、というのが難点なのだと思います。


結局のところ、世に溢れるハウツー本が変な障壁になってるような気がするんですが。あるいは学校教育、でもいいんですけども。数学の教科書のように、公式があって、それを解いていればなんとなくわかる、というようなものではないですし。*1
どっちかというと国語の教科書、に近いのかもしれません。「この作者はこの作品を書いたときにどんなことを考えてたでしょうか?」いやそんなのどう書いても不正解にできねえんじゃねえの? というような理不尽な設問が国語ではありますけども、個人が作るシナリオというのは、その「なにを考えていたか」部分がないと、読んでも理解できないんじゃないかな、と。


そういう意味で、公式のシナリオというのは、「誰が読んでも理解できるように」中身を適度に薄くして文章も適度に穴のあるものにして遊び、自由度を作ることによって、バリエーション溢れるプレイ環境に対応できるようにしてるんだと思いますが、それだとあんまり作成方法の手本にはならないわけで。そういう一般向けのシナリオ作るには手本になるかもしれませんが、シナリオを作る、というのは「自分が遊ぶためのシナリオを作る」という前提があるだろう、とも思うので。
極論しちゃうと……他人の作り方を「読んだ」ところで、シナリオは作れないのだと思います。シナリオを作る際の視点をはっきりさせた上で、「自分はこういうシナリオを作る」というスタンスを確立することこそが、シナリオを作る技術としては大事なんじゃないかな、なんて。
その辺を把握するというか、自分で認識するための読み物を作ればいいのかもしれません。

*1:書きながら、それはあんまり一般的な勉強法じゃないっていうか身についてないだろ、と思ったりしつつ