フレームワークと個人技の境界

紅茶檸檬さんにレスをいただいて、その中に気になる一文があったので、そこにだけ反応ー。

嘘つきろーくんと賢いホロさん - TRPGのススメ?
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20071215/p1

表層としてのテンプレートが磨き上げれられて来たのと同時に、中の人の非交換性はやっぱしあるんじゃ無いかなーと思ったりしました。この考え方を飲んじゃうと、TRPG的には暗黙知の明示化・システム化に軸足を置いているウチのblogとしては今までの議論の前提が崩れるんですけどねー。他人に真似の出来ない領域の存在を認めることになるのです。

例え他人に真似の出来ない領域が存在していたとしても、暗黙知の明示化とシステム化は可能じゃないかな、というのが私見です。
というのも、「暗黙知の明示化とシステム化」というのは、プログラミング言語を作る、というのと似てるんじゃないかとプログラム開発もたまにする私は思ったからです。そして、「他人に真似の出来ない領域」というのは、それぞれのプログラマの持つ経験とか、プログラミングする上での作法に近いものだろう、とも思ったからです。つまり、まったく別のものだ、と考えるからです。
プログラムにおいて、基本的な処理(条件分岐やループ)というのは、どんな言語でもやることは一緒です。TRPGで言うところの「ダイスを振る(=乱数を生成する)」と共通しちゃうぐらい。ここまでは「暗黙知の明示化とシステム化」に似てると思います。「こういうことをするには、このプログラム(システム)では、こういうことをすればいいんだよー」という、システム利用者全員に共通するフレームワーク(=システム)を提供する部分だからです。
しかしその先、実際のプログラミングは、個人技です。プログラミングもそうであるように、ある処理を実装(=機能を実現)するためのプログラミングコード(=手段)は、一つではなく、プログラマ(=システム利用者)の好みに依存するからです。そして実装方法というのは、個人差によってスマートだったり野暮ったかったりする、要するに上手かったり下手だったりことがあります。


どんな優れたシステムも、"必ず"優れたシステム利用者を生み出せるわけではありません。しかし、優れた利用者を"より多く"生み出すことはできると思います。それが「暗黙知の明示化とシステム化」であり、究極的にはシステムの存在する意義であり、システムの目的となることだと思います。
そして優れたシステムを築き上げるためには、「他人に真似の出来ない領域」を「暗黙地の明示化とシステム化」の領域に引きずり下ろすことが必要です。
ちょっと駆け足な説明でしたが、なので、他人に真似の出来ない領域が存在していたとしても、暗黙知の明示化とシステム化は可能じゃないかな、と私は思います。