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いつもわかりづらい文章ですいません。

ぎんのたまはない。のつづき。 - TRPGのススメ?
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20071217/p1

んでお話を伺うにエンゼルギアの場合も、ルール側で80点以上はプレイへの満足度を担保できるってお書きになっとるわけで、この話にはシステムがゲーム寄りかロールプレイ寄りかってのは、あんまし関係ないよーな気がするのですが、いかがなもんでしょーか。特化されているとしたら、ロールプレイ特化が嫌いな方はエンゼルギアは使わないでしょうし。私はロールプレイ特化好きなほーなのですが、今までの反動でゲーム寄りも有りだよねと言う方向にー。となるとオンセだとアリアンロッドかなってのもあります。

えとですね、エンゼルギアが80点以上を確保してるのは、ロールプレイ部分"だけ"というつもりの文章でした。
まあそれ以外にどんな項目があるのんー? てのは系統立てていかないといけないのでまだ明確にはなってない部分があるんですが、少なくとも「ゲームバランス」とかは最低ランク、80点どころか50点もいってないと思ってます。個人的には0点です。
ただしそれがロールプレイ特化に起因するものであるということも認識してます。ロールプレイにあまりにも特化してとんがってるので、その他の部分については「これは酷い」タグをつけたくなることのほうが多いんですが(その辺をフォローしてるのが天羅の新システムなのかなーとネットでの評判見て思いますがやったことはないので印象論です)、まあそれはおっしゃる通り、「エンゼルギアはそういうシステムだからー」って部分なので、見て見ないふりをしてもいいことだと思います。
ただまあ、そうすると、エンゼルギアは80点主義とは相容れない、ってことにもなるんですけどね。それはそれ。別に私が作ったシステムじゃないので、システムレベルでの80点主義は求めてません。プレイレベルで80点主義に引き上げられればそれでいいです。
具体的には、ロールプレイ特化システムであるが故に"数値的な"ゲームバランスは崩壊しているので、別の部分でゲームバランスを確保するプレイングで80点主義を目指してます、ってことです。

んで、なんで他人に真似の出来ない領域の存在を認めることで、今までの議論の前提が崩れるのかってーと、すぱイしー先生の話が正しいとすると、いくら徹底的にテンプレートを磨きあげても、決定的な部分は中の人次第って話になっちゃうよねって意味と、ちょい前にggincさんがお書きになっていた、ラノベにおける制度言語の存在のお話に係るので書きましたー。

中の人の個性までシステムに押し込めなくてもいいんじゃないかなーという風に思えたのですが……
というのは、個性がなくていいのなら、それはすでにCRPGである程度実現されてるんじゃないのかな、と思うからです。
もちろんCRPGですら個性の発露はありますが、それはシナリオとかシステム構成の話で、システム処理の話ではないです。で、私は、TRPGにおいても、システム処理の部分については、個性は別にいらねーと思ってますし、そういう話であれば、そーですねと納得するだけです。
つまり私が気にしてることを乱暴に要約しますと、「システム構成者の個性も(結果として現れるシステム自体の特色も)、システム利用者の個性も、それは当然のものとしてある」ということを"無視して"、「(より大きな意味での)システムには個性はいらない」と書かれているよーに見えると。
不勉強なので過去ログまでは拝見してませんので、当エントリの言葉の端を突っつくような反応で申し訳ないんですけども。


あ、あと、私も自称物書きの端くれとして、他の人の文章を真似るのはけっこう難しいと思います。
文章技術は結局は積み重ねで、なにをどー頑張っても書くことでしか向上しなくて、書けば書くほどスタイルは確立されていって、それは唯一無二なものになっていくので、そうやって積み上げられた技術を"そっくりそのまま"模倣することはまず無理です。
ただまあ、これはこれで剽窃と思われるかもしれませんけども、「他人のいいところを真似る」ことは、そう難しくはないです。形容詞の使い方とか、気の利いた言い回しとか、それこそジャンルごとにある特性の反映とか。「自分がいいと思った他人の長所を取り込んでいく」のであれば、結果的にそれは、唯一無二になっていきますよね。無限の組み合わせの中から自分に合ったものを選択するわけですから。
で、暗黙知のシステム化って、結局はそういうことですよね? 「他人のいいところを真似る手助けをする」ようなもんじゃないかと私は思ってます。


追加参照

「猿」と「太宰治」と「プレゼン」と (人生の諸問題):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070918/135230/?P=3

小田嶋 僕もいろいろなものを引っ張ってきてやっているわけですけど、文章を書くことは、きっと誰かの真似をするということではありますから。オリジナルというものは5%ぐらいなんじゃないんですかね。あとの95%は、それまで読んできたものや何やらの混合体なんでしょうけど、その混ぜ具合が、その人の個性だというだけで、100%個性だけでできている文章なんてないですね。


そして、それとは関係のない部分で、「強烈な個性」なんてのは集団の中では邪魔なもんです。「カリスマ」と言い換えてもいいんですけども、そういうものはよくも悪くも他人に影響を与えるので、集団への参加者のフラットな関係(=環境)を嗜好する場合は相容れないものだと思います。言い方を変えると、"自由な集団"においては、邪魔です。
ただ、リーダーのいない集団はダメダメになるだけなので、私はそれはそれで必要悪的なものとして認知してます。それがないとどーにもならないこともあるから、あってもいいよ、程度の認識です。
重要なのは、メリットとデメリットを常に自分で判断し、選別し、決断することだと思うのですが(それが自由だと思うのですが)、それはフレームワーク化は可能なもんなのかなあ、ってのはちょっと微妙な気分の今日この頃。結論が前提を覆しそうで。
TRPGに応用可能なのは社会学か心理学か、ってところで私は心理学をとりあえず選択する人種ですので。つまりそもそもが個人技の世界だという判断です。