ロールプレイという結果

まず起点。

世界をTRPGで実感するには(2) - まりおんのらんだむと〜く+
http://d.hatena.ne.jp/mallion/20080415/p1

そして関連項目。

シナリオの階層化手法 - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20070307/p1

そしてこっからが持論。
なんか長いので折っておきます。



まず、「自分自身(を取り巻く世界)」と、「キャラクター(を取り巻く世界)」の差によって、キャラクターが浮き彫りになり、結果的にロールプレイに繋がる、と乱暴に要約しちゃいます。
さて、その上での私の疑問です。


・そもそもロールプレイをすることがセッションだろうか?


これは私の立場からすると明確に否です。ただしなぜ否なのかについては、ロールプレイとセッションというものが定義されていないといけないので、それを大雑把に定義します。


セッションというのは、結果の積み重ねです。噛み砕くなら、行為の結果と、決断の結果の積み重ねです。
しかしその前段階に立つものとして、状況があります。状況というのは、システムごとの世界観と、セッションの時点での世界の状況と、セッションに関わるエリアの状況と、セッションに関わるNPCの状況です。


世界観は、物理法則みたいなもんです。剣があります、魔法があります、銃はありません、死者は生き返りません、とかその程度のもんです。どんな神様がいて云々というのは、ディティール、テクスチャに過ぎないので、さほどの意味はありません。


世界の状況というのは、過去の要約です。現在に至る詳細な過去を無視して、とりあえずこういう状況になっています、と説明されるものです。人類がどこで発生してどういう経路で住処を拡大してどうやって社会的集団を形成してどうやって国家を形成しました、というのは、ディティール、テクスチャに過ぎず、現在には大きな影響を与えません。とりあえずこうなってます、ということがわかれば、どうやってそうなったかは無視してもかまわないものです。


セッションに関わるエリアの状況というのは、PCが置かれる環境のことです。どっかの街が舞台なら、どういう政治形態で、どういう領主(あるいは民衆代表)がいて、治安組織はどうで、PCの立場はどういうものか、という日常を描写するために必要な情報の一群です。宗教が絡んだり政治主張が絡んだりすることもありますが、これらはやはりディティール、テクスチャでしかないために、PC自体を規定するものではありません。


セッションに関わるNPCの状況というのは、セッションに登場するNPCの状況設定です。誰がどういうことをしようとしているのか、という情報が、とりあえずNPC分だけある、ということです。動機や、それにまつわる過去なんかは、派生的に必要になりますが、それはディティールやテクスチャに属するため、やはりPCには関わりのない情報です。


PCというのは、それらの状況の上に投げ出される存在です。システムによっては、どこかの状況に関わることが規定されている場合もありますが、基本的にPCというのは、PLが自由に設定してもいいし、シナリオの要求、つまりGMの要求に応じて設定してもかまわないものです。
言い換えれば、それがTRPGの自由だ、と言ってもいいです。自分のキャラクターの状況を設定することが出来ること、そして設定しないということができること、それがTRPGにおける自由だ、と。
ロールプレイというのは、それらの状況の積み重ねの上に、結果的に現れるものであって、目的でもなければ、手段でもありません。ただあるがままにあるだけのものです。それは世界を構成する状況の一端に過ぎず、それを行なうことは当たり前のことの範疇にあり、行なわないこともまた、当たり前のことの範疇です。


この疑問の結論は、ロールプレイとは、セッションの目的に応じて発生するものであって、セッションそのものではない、ということになります。
例えば、システムはなんでもいいんですが、システム固有の世界観を無視して、要はキャラクター作成ルールとか行為判定ルールとかだけを使って、ただダンジョンハックするだけのセッションをやろうぜ、という状況においては、ロールプレイは不要だ、というだけのことです。
ロールプレイは選択要件であって必要要件ではない、ということですね。


まりおんさんところの話で言えば、グローランサ世界では、ロールプレイが必要要件となっているがために(実際にそうなのかはわかりませんが)、世界の状況等々を理解していくことが必要となる、というのが私の解釈になります。この場合は因果は目的的には逆転しますが、セッションの盤上に現れるロールプレイというものが、状況の積み重ねであることは変わりません。


もっとわかりづらく例えてみましょう。
「物語の登場人物とは、ロールプレイを必要とされたセッションに登場するキャラクターであり、ロールプレイを必要とされるがために、ロールプレイを行なうために必要な状況としての過去と現在と、場合によっては未来の目的を持っている」
「物語とは、ロールプレイを必要とされたキャラクターが、それぞれのロールプレイに基づいて決定された目的によって交流することによって、結末に至る」
状況が設定された時点で、シナリオの結果というのは不可逆的に決定されているものであり、それを左右することはGMにもPLにもできません。
意味づけはGMやPLが行なうものであって、PCや、ましてや状況が行なうものではない、ということでもあります。なので、GMの意味づけした"結末"と、PLが意味づけした"結末"が異なるのは当然だし、それでもかまわない、ということでもあります。
もちろん、PCが意味づけしたと錯覚できるのが魅力、という観点もあります。PCがPCの考えで動き、PLの制御を離れている、という錯覚です。それは別の話になるのでここでは触れません。