(神は)君臨すれども統治せず

人類社会に対してなんらかの干渉を行なおうとする神というのは、その視点において人間レベルに属していることになるため、なんらかの俗人性を有していなければならない、という逆説的な理由が必要になります。
いわゆる創造神、大粛清を行なう神は、人類"社会"に対してではなく、人間という"種"に対しての干渉を行なうだけなので、俗人性からははみ出した超越性を持っています、という言い訳を先にするとして。
先に述べた守護神とかは、そもそもが人の想念の結集ですから、俗人性を得ること自体は当然というか、そうでなければならないと言い切ってもかまいませんが、ではその価値判断の主体をどこに置くかという点で、扱いが非常にデリケートになります。
創造された神の人格を設定し、その力の行使を認めるか? とした場合、古代神の属性は変化しないものになってしまいます。生み出されたものは生み出したものの影響を受けない、ということになってしまうわけですし、人の信仰もまた、変化しないということになってしまうからです。
それはないですよね。エジプトの神々が習合され、アステカの神々が矛盾した属性を持つように、人の信仰は変化します。それに応じて守護神も変化するだろうし、変化するべきです。


しかし守護神に対して、同じ守護神を信仰するものが、矛盾する願望を祈願することも想定されます。世の中の信仰なんて大体そんなもんです。たとえ神が完全だったとしても、人間が完全でなければ、神の完全性は証明も実行もされません。
ともあれ、対立願望を守護神はどう処理をするのか? あるいは、そもそも処理することが可能なのか? というのは問題です
矛盾する願望については自動的に沈黙する、という仕組み(=人間の自主性に任せる)のほうが、とりあえず処理はしやすいように思えます。主にGMが。
その上で、それに世界観的説明を付加する場合、さてどのような理屈がいいだろうか。神は民事不介入、とか言うと、シュールすぎて笑えない。ていうか守護神の意味があんまりない。……こともないけど。
実際のところ、守護神は自然現象に干渉できるだけの力はない、と設定したほうが合理的ではある。神官が天候操作できる、というのは(信仰の形としてはともかく)実際に存在するとGMの負担が増えてしまう……奇跡が起こりすぎる世界は、やはりどこか歪んでいるだろうし。
というわけで、君臨すれども統治せず、になるわけです。民事不介入でもいいんですけども。
神様は人間の瑣末な問題には関わらないんです。人間という種を脅かす外敵に対してだけ機能する、と。
さて、創造神に対しては……どうなんでしょうかねえ。