利害構造の構図

国家生成ロジックに関連して。
集団における指導者層をPC相当として、各PLに割り当てたとします。
外交というのはリソースの活用が肝で、そこには姻戚関係も含まれます。
「自国の事情」と、「他国に嫁いだ自PCの事情」という構図で考えた場合、いかに姻戚関係というしがらみが重要なのかがわかるかもしれない、なんてことを思ったり。
マンチキンなPLなら他国に嫁がせる自PCなんて単なるリソースで、切り捨て御免でやるかもしれないけど、それは結果的には他PLから信頼されなくなって封殺されていくんだろうなあ、とかそういう図式があれこれと見え隠れ。


ちょっと構図を変えると、「NPCの事情」と「PCの事情」というのは、同じようなしがらみを生むわけです。
GMにとっては、リソースとして位置づけることもできますが、基本的にはNPCは「自分のキャラクター」です。それがシナリオという場において「他PLの事情」によって、場合によっては生殺与奪の権利を握られることになります。
(PC・NPC問わず)自分のキャラクターが、他の人に無碍に殺されたりした場合、その心中はいかばかりか、と考えた場合、キャラクターの扱いについては千差万別であるものの、人によっては愉快ではないということは想像することができると思います。なんとも思わない人もいれば、そういうことを気にする人もいる、という意味で。


そうしたGMの個性もまた、リソースとして扱うことができます。「このGMは子(キャラクター)煩悩だから、NPCを大事に扱ってればリターンがあるに違いない」というような推測は容易に立てることができます。「生粋のゲーマーだとそういうの(メタな判断)が嫌いな人もいるかもしれない」という推測も同時に可能ですね。そこは普段の付き合いで判断してください。
人間性を無視して遊ぶのなら対人で遊ぶ意味はあんまりありません。そんなことしたら喧嘩になりやすいわけですから、コンピュータゲームやってたほうがマシです。コンピュータと喧嘩になることはないし、なったとしてもコンピュータは文句言いません。
言葉を選ばずに表現するなら、コミュニケーション能力というのは利害の調整能力のことです。win-winの関係を作ることができればベストで、そのためには相手の勝利ポイントを見極めて達成させつつ、自分の勝利ポイントを達成させる必要があります。で、コミュニケーション能力が高い人というのは、おおむねwin-winの関係を作るのがうまい人です。
「他人に認めてもらいたければ、他人を認めよう」ということになるし、対人ゲームを遊ぶというのは、結局はそういう承認欲求が多かれ少なかれあると思うので、コミュニケーションを含んだよいゲームというのは、もしかしたら「他人を評価することによって自分も評価される仕組み」があるゲームのことなのかもなあ、と思ったり。


ま、アシストだけじゃ満足できない人も多いようだし、コンボが組めればいいってもんではないんだろうし、ダメージディーラーになれればいいってもんでもないんでしょう。たぶん。
「これをやっておけば大丈夫」って考えは、一番コミュニケーションから縁遠いんだろうなあ。テンプレート有害論者なんだろうな、自分。ゲーム的な、数値的な部分は別にそれでいいと思うんだけど。
考えれば考えるほどPCとPLが分離していく昨今です。