国家生成ロジック

大陸の形も書いてないような白地図を渡されました。
「さあ、ここに君の好きなように街を造り、国を造り、戦争を造りたまえ」
それを論理的に処理するためのロジック、ルールを作れないものか、と考え始めたのが発端です。ランダムで要素を決められればなおいいのは言うまでもないことでしょう。
ちなみに以下の文章は適当な聞きかじりの知識の大雑把な記述でしかないので、細部以前に間違いがあることもありますが、まあそれはそれということで。


ヴェルタニア・クロニクルのような(長短はともかく)英雄物語をやろうとした場合、国家という仕組み、枠組みがそれなりに処理できないと、いまいち盛り上がりに欠けます。
しかしそれはあくまでもおまけ要素、「それっぽく見せるためのフレーバー」でしかない、と割り切ることもできます。
判断基準として、「ゲームの一環としての建国物語」に強く依存することになるわけですが。ゲームの目的が建国物語にある場合と、ゲームの目的ではなく過程において建国物語が関わってくる場合では違う、ということは踏まえておく必要があります。
さて、それをするのに、どういった知識が必要になってくるでしょうか? というのが、今回の本題です。


人間の社会的・文化的側面を「ゲームの形で」盛り込む必然性があるわけですが、ゲームのルールとは現実を処理するためのデフォルメである以上、元となる形をある程度定めておかないと、デフォルメすることができません。
そういう意味で、ゲームというのは、実際の風景に対する写真というよりは、絵画的性質が強いと言い換えることもできると思いますが、それは本題ではないので横に置いておくとして。
(ただし、それがリアルリアリティの介入する余地を作り、またリアルリアリティが絶対の指針にはならない根拠をももたらしていることは意識しておく必要があります)
大雑把には、狩猟民族から農耕民族への変化の前後では、社会という言葉が持つ意味自体が変わってきます。それぞれの状況にあった「現実」があり、対比される「デフォルメ」があり、妥当性をもった「ルール」が創出されることになるわけです。
単純に考えれば、狩猟民族時代用のルールと農耕民族時代用のルールが別個に必要になる、でいいんですが、移行期用のルールはどうすればいいんだろう? と考えると、両者をシームレスに結合するためのルールが必要になることもまた、必然的に導き出されます。
が、まったく異なる背景をもった社会を連続的に処理するにはどうすればいいのか? と考えた場合、次に着目するポイントとして、「なにを処理するのか」が必要になってきます。


資源という観点において、集団の要素は「土地」「人口」「生産物」ぐらいがあれば、まあ記述できます。どの辺にどの程度の土地を管理していて、そこにはどれぐらいの人が住んでいて、何を作っているのか、ということです。文化的なものや宗教的なものは、とりあえず意識する必要はありません。基本ルールを拡張して対応することにすればいい範囲のことです。
社会的に必要になってくるのは、集団と集団の関係、つまりは交易ルートです。道、と言い換えてもいいです。どことどこの集団=街がつながっている、あるいはつながっていない、というような。道ごとに危険度や整備・治安状況を追加してもいいかもしれませんが、それは当面は無視してもいい情報です。
これで大体、「なにを処理するのか」は決まりました。
狩猟民族は「広い土地」に住んでいても「人口は少ない」でしょうし、「余剰生産物は少ない」でしょう。つまり交易のための手持ちの材料はあまりありません。決定的な弱点として表現するなら、単位面積あたりに生存可能な人間の数が、農耕民族よりも少ないということになります。そのために、時に略奪を行う必要が出てきます。その切っ掛けは、大体は人口の増加です。いままでの広さの土地では増えた人口を養えないので出稼ぎする、あるいはより広い土地を求める、という図式です。
農耕民族は、「狭い土地」に住んでいても「人口は多い」でしょうし、「余剰生産物は多い」でしょう。単位面積あたりでの収穫量に大きな差があるからです。多いとか少ないとか表記しているのは、それはあくまでも相対的に表記されるものだからです。基準点よりも上か下かということが重要になりますが、具体的にどの程度なら多くて少ないのか、ということはあまり重要ではありません。時代ごとに相対的に決まる要素でしかないからです。


あとは地勢的に見て内陸と海岸の差が表記できればベストでしょうか。古代より、海運国が栄えるのは、海上を利用した輸送能力の高さが、つまり交易路の効率が陸上よりも優れているからです。
しかしそれは、交易品、生産物に余剰があって初めて成立する繁栄です。そのために海運国は、穀倉地帯を抑え、交易を行い、富を蓄積することによって強者となります。農耕民族と海運国というのはセットになっているわけです。例としてあげるなら、古代のカルタゴは、ナイルの恵みによる生産物によって栄え、海運を制して巨万の富を得ていました。
また海岸に面しているすべての土地が海上輸送が可能かというと、そうではありません。良港には条件がある以上、海運国は、ある程度限られてきます。そして「海に近い土地」として考えた場合、潮風による影響がありますから、農耕地として考えた場合は微妙なことが多いでしょう。
内陸にも森やら平地やら山やらいろいろあるので、ひとくくりにはできないのと同じことですね。それらは単純に集団の差別化要素として記述すればいいのだろうと思います。


大規模戦闘、いわゆる戦争用のルールは必要になるか、というのもまた、難しい話です。
主眼をPCに置くのであれば、特にいりません。戦争は突き詰めれば数を削りあう戦いで、極端な話をするなら、多いほうが勝つものです。また、PCに主眼がある以上、軍師となって全軍を指揮するのでなければ、PCが関わるのは戦場の一局面であって、全体ではありません。
指揮官の質、兵士の数、兵士の練度、士気、専業兵士か兼業兵士か、ぐらいの要素で判定できるでしょう。専業兵士の場合は、正規兵か傭兵か、とかの差もあるかもしれません。まあこれはフレーバー要素でいいでしょう。
どれだけの兵士をそろえることができるのかについては、集団ごとの人口及び財力によります。つまり、戦争の結果というのは、基本的には始まる前に決まっています。それをひっくり返すことのできる指揮官は名将と呼んでもいいかもしれませんが(役どころとしてはPCが適していますが)、その前提に政治的失敗がある以上、手放しで褒められたものではありません。劣勢の状態のまま戦争を回避できないというのは問題です。


極端な話をして要約すると、いかにして収穫量を上げ、人口を増やし、交易を行うか、が根底にあります。それらが戦争動員数を決め、結果的には戦争の行く末も決めます。
そうなると、一番重要なのは、収穫量決定ルールと、人口増加ルールだったりするわけです。交易は基本的に等価交換でやればいいし、不平等交易は戦争に勝ったらやればいいんです。海運国同士の交易は効率がいい分、陸運国とは差がつきやすいでしょう。農耕民は狩猟民よりも優遇される(価値がある)だろうけど、有事の際には狩猟民のほうが優遇されます。
という概観があれば、あとはルールにのっとって判定すればいいんじゃないですかね。「こういう設定で、こういうルールで遊ぶよー」という枠組みを作るという意味では、TRPGよりもボードゲームに近いような気がします。状況に対する制限というか、意志決定に関する制約というか、そういうものがけっこう強いと思うので。
そういった制限や制約をひっくり返して遊ぶ遊び方でもいいんですけど、というかFEARゲームに代表されるフレーバー至上主義ならそれでもいいんですけど、それなら最初からルールいらないよね、ってところで落ち着くと思います。