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TRPGは完全情報ゲームであるか否か、ということはとっくのとうに誰かが考えてそうだなあと思いつつそれを無視して思考実験。
この思考実験の主目的は「完全情報ゲームであった場合のTRPGはどういうものか」と、「完全情報ゲームではない場合のTRPGはどういうものか」という比較です。

完全情報ゲーム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1


完全情報ゲームの性質を理解しやすくするなら、こっちのほうがいいのかもしれない。

二人零和有限確定完全情報ゲーム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E9%9B%B6%E5%92%8C%E6%9C%89%E9%99%90%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

基本的には、GMの手番における判断及び結果は隠匿されます。NPCの行動は部分的にしか表現されないし、マスターシーンというフィルタによって選択的にしか情報開示されないためです。
PCの手番における判断及び結果は、表面上は公開されますが、実際には目的が隠匿されることが多い(あるいは目的がないこともある)ため、完全情報にはなりえません。
このために、TRPGは完全情報ゲームではない、ということになります。たぶん。
ですから、「完全情報ゲームではない場合のTRPGはどういうものか」というのは現状のTRPGのことなので、特に触れません。


では、「TRPGが完全情報ゲームであった場合」はどういったものが必要になり、その結果としてどのようなゲーム展開になるでしょうか。
まず、GMもPLも、目的を宣言する必要があります。具体的には、セッションで実現しようとする目的(ストーリーテリング、キャラクターロール、リドル、ウォーシミュレーション、その他いろいろ)を定義します。複数の目的を、重要度別にポイントを割り振るとか、そういう表現方法もありかもしれません。
二人零和有限確定完全情報ゲーム"ではない"ので、各参加者の目的は同一でなくてもかまわないものとします。
開始時点で宣言した目的は、セッションの途中で勝手に変更することはできません。ただし、周囲の了解を得た上で変更することは可能とします。
参加者の行動は、設定された目的に添って合理的に決定され、その理由もまた説明可能である、とします。
それが結果的にどのようなセッションになるかというと、私には「参加者がそれぞれの目的に向かって邁進するゲーム」であり、目的については決定されているので、「目的に対する信頼」が完全に機能する状態が想像されます。


協調の有無は、参加者間の関係によって自分の目的が果たされるかどうかに関わってきます。
例えば「俺TUEEEEEE」がしたい人がいたとして、「俺SUGEEEEEE」がしたい人がいたとします。前者を数値的にガチに構築したリアルマン、後者を能弁を武器にしたマンチキンだとしましょう。
マンチキンが場を作り、リアルマンが実際の判定で勝利を得る。そうした協力関係は、それぞれの目的からすれば"あり"ではないでしょうか。まあこんな簡単に協調できるならリアルマンだのマンチキンだの呼ばれないでしょうが、わかりやすくするための例なのでその辺は置いておいて。
「それぞれの目的を読み違えることのない状況」ですから、まあ言い換えればぬるい予定調和があるとも言えますが、ゲームなわけですから、盤上に納まる限りは予定調和があるべきで、盤上からはみ出るような行動はそもそも慎むべきでしょうから、予定調和であってもいいように思われます。


参加者の目的が対立した場合を想定してみましょう。簡単に言えば同じ目的の人がいた場合ですね。「俺TUEEEEE」と「俺TUEEEEE」とか、なんかそんな。
この場合は、目的が対立した人の間では、それぞれの最善を尽くすというのが目的であって(別に尽くさなくてもいいですが)、結果的にどちらかが目的を果たせないことも、折り込まれます。将棋だって、「相手の王将を取る」のが双方の目的ですが、実際に相手の王将を取れるのはどちらかだけです(どちらも取れないこともありますが)。最善手を尽くした結果、どちらかが負けることになるのは、ただのゲームの結果です。
目的について合意できない場合は、単純に参加資格がありません。目的が被ってる人がいて、その人には勝てそうにないから、参加しない、というのも選択肢として当然あります。
一番の問題点は、それぞれの目的及び行動が、結果的に宣言通りだったかどうかを誰がどうやって判定するのか、って部分ですが、それについては無視します。そうした判断主体の有無は度外視して、「そういう状況である」という仮定ですから。


で、ここまで書いて、ああ、どっかで見たような話だなあと思ったら、id:inouekariさんとこのエントリの失言小町の部分でした。

2008-05-29 - GMブログ - game master
http://gamemaster.g.hatena.ne.jp/inouekari/20080529#1212030506

合目的的に行動する、と要約してもいいんですが、なんかここまで噛み砕いちゃうのも風情がないよねーという気もします。
風情はなくても、事故はないかもしれないし、楽しいかもしれない。正確には、そういう風に楽しむことも可能かもしれない。
そのうち、予定調和が鼻についてきそうな気もします。実際にはコミュニケーションしてるんじゃなくて、「臭いものには蓋をして、見られたくないものは見ないようにする」だけで、相手のことなんてほとんど見えてないんじゃ、みたいな。
手段だけが先鋭化されて、人間的な意味での目的が度外視される、というのは、まあいい意味ではゲーム的ですが、悪い意味で非人間的だよなあ、なんて。
ただ、手法として、完全情報ゲーム的な遊び方から出発して、次第に非完全情報ゲーム的な遊び方に移行していくというのはアリかもしれない、とも思ったり。システムやコミュニティに慣れるまでは完全情報ゲームで、慣れた後は非完全情報ゲームで、みたいな。
形式的な挨拶から入って、私的な会話に移行していく、みたいなもんですね。