輸入的遊戯感の説明

元ネタはこちらのエントリのコメント欄から。ただしインスパイアされただけで直接的には無関係な話です。
コメントは抜粋してますので全文は元記事でどうぞ。

読書録─格好いい婆さん、村山由佳、一回性の無意味さ - G&G, Inc. blog
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080613/1213324974

id:koutyalemon
>一回性
たぶん東センセのTRPGに対するご批判にかかっていると思うのですが、TRPGって一回性そのものだと思うって意味で”一回性”って概念には興味が有るんですよねー。そんで元の本読んだのですが。
んで、一回性ってのはどーも、その時、その場所でしか芸術作品が味わえないって状況だと思うのですよ。
たとえば演劇とかクラシックとか名画とか。

id:gginc
 もし私の考えを言うとすれば、TRPGの面白さをその「一回性」だけで保証するのは、あんまり面白いことじゃないよ(説得的じゃないよ)、ということです。よくありますね、「相互にリアルタイムで物語を紡いでいくから云々」という言い方。それは、知っている人ならなーんとなく伝わるかもしれませんし、的外れでもないかもしれませんが、それだけでは、外野には伝わらない言い方かな、と。


TRPGにおいては、とかく「勉強」とか「努力」とかが忌避されるか、あるいは度外視される傾向があるように思います。したらしたでマニアック扱いされたり。
で、ふと思ったわけです。趣味で野球で遊んでる人は練習しないんだろうか? と。バッティングでもキャッチボールでもいいんですが、それこそ試合することだけが練習だみたいな極論でもいいんですが、少なくとも努力してない人はいないんじゃないか、という気がします。
そして、一回性の楽しみというのは、野球でもあります。同じ試合は二度とないし、それぞれの試合でチームメイトとのやりとりや、相手チームとの駆け引きがあったりする。まあこれは野球で遊んだことのある人にしか伝わりませんけど、非電源系ゲームな遊びをしたことのある人には、押しなべてこの例えは通じると思います。
電源系ゲームでも通じるんですけどね。意識しづらいので無視したほうが無難でしょう。


「うまくなければ面白くない」とか、「うまくなれなければ面白くない」いうことはないと思います。でも、「うまくなったほうが面白い」というのは、あると思います。感覚的に、どんな遊びにおいても。
かけっこして、昨日よりも早く走れたとか、昨日負けたけど、今日は勝ったとか。鬼ごっこで、一度も鬼にならなかったとか、何回か鬼になったけど、鬼になった回数は一番少なかったとか多かったとか。
「未来の可能性を信じる無邪気さ」という一点において、子供というのは「無知ゆえの楽観性」というものがあるように思います。無知っていうと聞こえは悪いかもしれませんけども。


で、親は子供の喧嘩に手を出すなじゃないですけど、子供同士でやってることに、親は口出さないほうがいいってのは、子供自身がコミュニティを作り、ルールを作り、試行錯誤するからだと思います。いわゆる考えることの勉強を子供にさせるために口を出さない。
TRPG初心者のやることに、TRPG経験者が口を出すのは、この試行錯誤に介入して余計な色をつける行為に近いのではないか、と思います。だからこそ教育やらなにやらが忌避される。マニアックな人のマニアックな考え方に染められて喜ぶのは、せいぜいマニアックな人の一部だけでしょう。
さっきの例で言えば、野球の監督。監督は打席に立つこともないしマウンドに立つこともない。自分の経験と知識を活かして、選手がやろうとしていることを伸ばしたり、チームに必要な技術を選手に教えたりする。んじゃないかなと。漫画でしか知りませんけど。


この辺でヲタク的教えたがり病が影響してくるような気がします。外野に徹しきれない優しさの発露が、結果的に初心者に経験者の色をつけることになってしまうんではないか、と。
否定的に考えても話が始まらないし続きもしない水掛け論にしかならないので、あえて肯定的に考えるようにしてますけども、否定的に考えても肯定的に考えても、表出する事象は同じであるなら、改善の余地を内包する肯定的思考のほうが前向きでいんじゃね、というのが私の思考法です。否定的思考は決め付けやレッテル貼りっぽくなりやすいので、それは意識してやめようよと。
これは経験者の心構えとしても大事だし、初心者の心構えとしても大事だし、TRPGにまったく限定する必要のないことでもあると思いますっていうか思ってます。


私はTRPGを特別視するつもりはないし、したいとも思ってません。でなければ基本的に飽きっぽい私がTRPGをいままで続けられるとも思ってません。
TRPGは実生活に役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。でもそれはTRPGに限った話じゃなくて、あらゆる趣味に共通する話です。そして逆もまた真なりです。実生活がTRPGに役に立つかもしれないし、実生活があらゆる趣味に役に立つかもしれない可能性があります。
視野を広げるというのは、一見すると関係のないことを関係付けて考えることでもあります。たぶんそうした脈絡付けの大半は無駄で無意味なことです。でもほんのわずかでも役に立つ可能性はあります。
あきらめることは誰にでもできるし、たぶん誰でもやっていることです。
あきらめないことが努力するということだし、努力し続けるということが努力するということです。肩肘を張って「努力しよう」なんて考える必要はないと思いますけど、「努力なんてしたくない」と考えている限りは、絶対に努力的な何かはできないと思います。


「とりあえず遊ぶ」
「とりあえず続けてみる」
この二つを誘引できれば、TRPGの伝道者としては優秀なんじゃないかなという気がします。他の趣味でも同じことですけど。